紅楼夢に再挑戦 第二回 《賈夫人仙逝揚州城 冷子興演說榮國府》
前回大いに利用した
中国語学習者のブログ
が第一回しか見つからないので第二回以降は<中國哲學書電子化計劃、紅楼夢>とネット検索で挑戦を続ける。
第二回《賈夫人仙逝揚州城 冷子興演說榮國府》
卻說封肅聽見公差傳喚,忙出來陪笑啟問。那些人只嚷:「快請出甄爺來!」封肅忙陪笑道:「小人姓封,並不姓甄。只有當日小婿姓甄,今已出家一二年了。不知可是問他?」那些公人道:「我們也不知什麼『真』『假』!既是你的女婿,就帶了你去面稟太爺便了。」大家把封肅推擁而去。
仙逝 (xiān shì) : 成仙升天。指人死亡。日本語でも<夭折(ようせつ)>というのがある。
揚州城: 揚州のことだが、本文では揚州の語がでてこない。この回で林黛玉の父林如海がでてくるが、高級役人で役職は巡鹽御史。<鹽>は<塩>のことで、政府専売管理品(税収入)。この役所は揚州にあり、一家はここに住んでいた。林如海の妻、林黛玉の母の姓は<賈>で、中国では昔から結婚しても妻の姓は変わらない。子供たちは男も女も父親の姓を継いでいく。ところで、紅楼夢の舞台は金陵(南京)で、地図をみればわかるが南京と揚州は比較的近い。
卻說:さて
聽見: <見>二字があるが、意味は to hear
公差: 公的に派遣された者。如:「差遣」、「差使」。現代でも郵差 (郵便配達)が残っている。
傳喚:役所からの呼び出し
忙: 忙しい(形)、いそがしく(急いで)
啟問:请问
嚷(rǎng):大叫
不知可是問他?:<どうして彼に問うたらいいかわかりません>の意か?
我們也不知什麼『真』『假』!:我々も何が本当で何がウソかかわからない。
面稟:下屬對上級當面的報告
推擁:由多人將某一人推之向前
太爺:第一回の最後に<本府太爺差人来伝人問話>とあるように、知事のこと。 <おや爺(じ)>とは全く関係ない。
sptt訳
さて封肅は使いの者が<呼び出しだ>というのを聞いて、いそいそと出て来て笑いを浮かべて何でございましょう>と尋ねたた。役人たちは大声で:「すぐに甄爺を出て来させろ!」封肅はまたいそいそと笑いを浮かべて:「わたしめの姓は封と申し、甄という姓ではありません。ただ以前に娘婿で姓が甄というものがおりましたが,出家して今はもう一、二年が経っております。どうして彼に問うたらいいものか?」役人たちは言った:「我々も何が本当で何がウソかかわからない!そのものが娘婿なら,お前を連れて行って太爺に報告させるまでだ。」皆は封肅を引き出して連れ去った。
封家各各驚慌,不知何事。至二更時分,封肅方回來,眾人忙問端的。「原來新任太爺姓賈,名化,本湖州人氏,曾與女婿舊交,因在我家門首看見嬌杏丫頭買線,只當女婿移住此間,所以來傳。我將緣故回明,那太爺感傷歎息了一回,又問外孫女兒。我說:『看燈丟了。』太爺說:『不妨,待我差人去,務必找尋回來。』說了一回話,臨走又送我二兩銀子。」甄家娘子聽了,不覺感傷。一夜無話。
二更:晚上九點到十一點
端的: 始末;底細
來傳: 伝わる
當女婿移住此間:<當>は<見なす>
不妨:妨げない。よろしい。
務必:一定、必須
臨走:將要離開的時候
sptt訳
封家のひとびとは驚き慌て,何が起ったのかわからなかった。二更時分に封肅が戻ってきたので、皆事の次第を急いで尋ねた。「そもそも新任の太爺の姓は賈で,名前は名化。もとは湖州の人で,わが娘婿と交友があった。太爺が我が家の前で丫頭の嬌杏が糸を買うところを見つけて,娘婿はここにいると考えたので、こういうことになった。私は事情を説明したが、事情がわかると,太爺は悲しんだ。また孫娘のことを訪ねてきたが、私は:『元宵の宵(よい)にランタンを見ている時に誰かにさらわれてしまった。』と答えた。太爺は:『よろしい,人を使って探させ、必ず探し当てる。』と言うと,別れ際に二兩の銀子をよこした。」甄家の女たちはこれを聞いたが、とくに感傷的になることなく、一夜中語ることもなかった。
ところで
因在我家門首看見嬌杏丫頭買線,只當女婿移住此間
とあるが、第一回の最後では
這日,那甄家大丫鬟在門前買線,忽聴街上喝道之声,衆人都説新太爺到任.丫鬟于是隠在門内看時,只見軍牢快手,一対一対的過去,俄而大轎抬着一個烏帽猩袍的官府過去.丫鬟倒発了個怔,自思這官好面善,倒象在那里見過的.
とあって少し矛盾がある。第一回で
士隠只得将田庄都折変了,便携了妻子与両個丫鬟投他岳丈家去.
とあるように、元来二人の丫鬟がいるのだ。賈雨村(名化)が心を寄せたのそのうちの一人嬌杏だ。
また<とくに感傷的になることなく、一夜中語ることもなかった。>は意味ありげだ。
次日早有雨村遣人送了兩封銀子,四疋錦緞,答謝甄家娘子;又一封密書與封肅,託他向甄家娘子要那嬌杏作二房。封肅喜得眉開眼笑,巴不得去奉承太爺,便在女兒前一力攛掇,當夜用一乘小轎,便把嬌杏送進衙內去了。雨村歡喜,自不必言,又封百金贈與封肅。又送甄家娘子許多禮物,命其且自過活,以待訪尋女兒下落。
兩封銀子:千両とも百両とも
四疋錦緞:33m x 4 = 132メートルほど 1匹(33m) =10丈;1丈(3.3m)=10尺;1尺(0.33m)=10寸二房:妾、作二房:妾とする
巴不得:漢語詞語,拼音是bā bù dé,意思是對某事物迫切希望。意思是説口裏説不行,但心裏説快呀快呀。
奉承(fèng cheng):おもねる。 諂媚討好他人。【例】他的個性耿介(gěng jiè 、公明正大),不懂得去奉承上司 。討好:人を喜ばせることを言う。
便:多義語。即、就。如:他一早便走了。
一力: 極力、盡力
攛掇(cuān duo)在一旁鼓動人做某事;催逼;催促;張羅,安排;幫助:けしかける
自不必言:一点儿也没有必要说。
命其且自過活。これは難しい。
命は命(いのち)と<命じる>がある。ここは<命じる>。其 qí=他们(的)、というのがあるので、其=甄家の女たち。且も難しい。
Baidu-Baike では一級通用規範漢字でよく使われるということ(ただし文語でだろう)
且(拼音:qiě、jū)是漢語一級通用規範漢字(常用字) 。(略)“且”字後被借用為虛詞,主要是作連詞,表示並列關係,也可連接兩個分句或兩個小層次,表示意思的進一層。還可以表示選擇關係,相當於“或者、還是”。其次是作副詞,主要有兩個意義,一是相當於“將要”;二是相當於“姑且、暫且”。
ここは副詞で將要の意だろう。(未来の<する>だが、“姑且、暫且”(とりあえず、まずは)でもいい。
過活(guò huó:1、生活;2、維持生活的財物。
以待訪尋女兒下落
訪尋 fǎng xún:尋求、尋訪。
下落:[whereabouts]∶ 尋找中的人或物所在的地方。在打聽其下落。
sptt訳
次の日早く、雨村は使いを遣わせて甄家の女たちに感謝すべく兩封の銀子と四疋の錦緞を送り、また合わせて一封の密書を封肅あてに送り,彼に託して甄家の女たちにかの嬌杏が妾になるようにした。封肅は眉を開き眼に笑いを浮かべ,早々に太爺を喜ばしたく,さっそく女たちの前で極力ことをすみやかに進めさせた。その夜一台の小轎(駕籠、かご)で嬌杏を太爺の屋敷に送りこませた。雨村はよろこび、さらに百金を封肅に贈った。さらにまた甄家の女たちにはたくさんの禮物を送った。まずは彼らに生活に余裕をもたせ,それから娘の居所を探すことだ。
卻說嬌杏那丫頭便是當年回顧雨村的。因偶然一看,便弄出這段奇緣,也是意想不到之事。誰知他命運兩濟:不承望自到雨村身邊,只一年,便生一子;又半載,雨村嫡配忽染疾下世,雨村便將他扶作正室夫人。正是:「偶因一回顧,便為人上人。」
命運兩濟 (mìng yùn liǎng jì):天命和運氣都很好,表示有福氣,とあるが、それ以上の説明がない。
不承望(bù chéng wàng):料想不到,沒有想到
sptt訳
さて、 嬌杏この丫頭の 嬌杏はこの年に雨村に再会した。偶然で,奇緣とも言え、思いもよらないことであった。誰知ろう彼女の運命のめぐり逢いのよさを。雨村の身のもとにいることになることはまったく思いのほかで、さらにはわずか一年で子供ができ、さらの半年後に雨村の正妻が病気でこの世をさり、雨村は嬌杏を正室とするのだ。まさにこれが「偶然が人を最良の人にする」だ。
紅楼夢の登場人物の名前詮索では<嬌杏,諧音“僥倖”也。> つまり<嬌杏(jiāo xìng)>は<僥倖(jiǎo xìng)>に通じる。僥倖(ぎょうこう)は日本語でもたまに使われる。たいていは<僥倖に恵まれる、めぐまれて>の決まり文句のようだ。すでに死語か。
原來雨村因那年士隱贈銀之後,他於十六日便起身赴京,大比之期,十分得意,中了進士,選入外班,今已陞了本縣太爺。雖才幹優長,未免貪酷,且恃才侮上,那同寅皆側目而視。不上一年,便被上司參了一本,說他「貌似有才,性實狡猾」;又題了一兩件徇庇蠹役,交結鄉紳之事。龍顏大怒,即命革職。部文一到,本府各官無不喜悅。那雨村雖十分慚恨,面上卻全無一點怨色,仍是嘻笑自若。交代過了公事,將歷年所積的宦囊並家屬人等送至原籍安頓妥當了,卻自己擔風袖月,遊覽天下勝跡。那日偶又游至維揚地方,聞得今年鹽政點的是林如海。
贪酷(tān kù):贪污冷酷、貪求錢財,虐害百姓貪求錢財,虐害百姓
恃才侮上(shì cái wǔ shàng )倚仗自己有才干,轻慢上级或长辈
同寅:同僚
側目而視(cè mù ér shì):意思是斜著眼睛看人,不敢正視。
参了一本:告訴(弾劾)する、される
徇庇蠹役:
徇庇,就是“徇私包庇”的意思。(徇 xùn :曲從、謀求。【例】徇私)
蠹役,亦作“蠧役”,就是“害民的差役”的意思。
交結鄉紳
鄉紳:(歴史的には) 鄉紳階層是中國封建社會一種特有的階層,主要由科舉及第未仕或落第士子、當地較有文化的中小地主、退休回鄉或長期賦閒居鄉養病的中小官吏、宗族元老等一批在鄉村社會有影響的人物構成。(後略)
交結:結託(けったく)する。結託して悪事を働く。
革職:免職
部文: 旧时指中央各部颁发的文书
慚恨(cán hèn ·): 慚愧悔恨 日本語では、慚愧(ざんき)、悔(く)やむ、恨(うら)む
怨色(yuàn sè):怨恨 日本語では<怨>も<怨(うら)む>だ。
仍是(réng shì):それでも
嘻笑:勉強而笑。 例他內心非常生氣,表面卻依然嘻笑
自若(zì ruò):鎮靜自如,毫不拘束;一如既往,依然如故。
宦囊(huàn náng):因做官而得到的财物
安頓(ān dùn):使人或事物有着落,安排妥當。
擔風袖月 (dān fēng xiù yuè) : 肩披清风, 手握明。沒有負擔,無憂無慮
形容身心轻松、悠闲自在
維揚:揚州府
鹽政(點):管理鹽務的事。主掌鹽務的官員。高級官僚。塩は専売品で課税、税収の対象。後では巡鹽御史という役名が出て来る。
sptt訳
もとはと言えばあの年雨村は甄士隱から資金援助を受けたのち16日で都につき、試験期間中も調子がよく、進士に合格した。外班(京城任京官外,其分发外地任官者称外班)に入りり,今こうして本縣の太爺(知事)になった。才能と能力はあったが、貪欲で過酷なところ、矜持から先輩をあなどるところがあり、同僚たちはみな彼をまともに見てはいなかった。半年ほどして上司に告訴されることになった。上司は<優秀なように見えるが,実際は狡猾な性格>と言い、<おのれの利を図る一方、住民は過酷に扱う>と加え、さらに<郷士と結託して悪事を働いている>とも言った。皇帝は怒り、即座に役職を剥(はく)奪した。中央からの正式文書が着くと、上司、同僚はみな喜んだ。雨村は後悔はしたが、特に恨むところを見せることはなく、むしろ笑みを作り自若としていた。仕事の引継ぎを終え、これまで貯めてきた財物や家族を元籍に送ったりして適当に整理した。しかして自分は自由の身となり、天下の名跡を遊覽。ある日たまたま揚州地方に遊んだ時に,今年の鹽政官が林如海であることを耳にした。
這林如海,姓林,名海,表字如海,乃是前科的探花,今已陞蘭台寺大夫。本貫姑蘇人氏,今欽點為巡鹽御史,到任未久。原來這林如海之祖也曾襲過列侯的,今到如海,業經五世。起初只襲三世,因當今隆恩盛德,額外加恩,至如海之父又襲了一代,到了如海便從科第出身。雖係世祿之家,卻是書香之族。只可惜這林家支庶不盛,人丁有限,雖有幾門,卻與如海俱是堂族,沒甚親支嫡派的。今如海年已五十,只有一個三歲之子,又於去歲亡了,雖有幾房姬妾,奈命中無子,亦無可奈何之事。只嫡妻賈氏生得一女,乳名黛玉,年方五歲,夫妻愛之如掌上明珠。見他生得聰明俊秀,也欲使他識幾個字,不過假充養子,聊解膝下荒涼之歎。
探花: 探花是中国古代科举考试中对位列第三的进士的称谓,与第一名状元、第二名榜眼。
蘭台寺大夫: 管職名。Baike-Baidu は
蘭台寺大夫,是曹雪芹在一定歷史背景的基礎上,於小説《紅樓夢》中虛構的官名,出自《紅樓夢》第二回。脂硯齋評語説此官職“半有半無,半古半今”。
と説明している。 つまりはよくわからないのだ。
姑蘇:蘇州のこと
上で揚州、金陵(南京)が出てきたが、蘇州もれほど離れていない。今は発展して一大圏になっている。紅楼夢の舞台なので地図をコピー してもいいが Google Mapで見られる。上海は相当後から発展した大都市だ。中間の无锡, 常州なども今は産業都市として発展している。
襲過列侯:列侯がよくわからないが、祖先は爵位がのある地位(貴族)とうことか。
隆恩盛德:恩德深厚ということ。
額外加恩:額外ーさらに、加えて
便從科第出身:科第ー科挙合格(及第)者か。便は多義語。基本的には<便=就の古語、文語>。ここは副詞で<すなわち>といったところ。
世祿: 祿是官吏所得的享受財物。爵位は地位で基本的に世襲制。世祿は祿も世襲ということか。貴族は働かなくても一生食っていけたようなので、背景には莫大な財産が有るか定期的な祿がないといけない。
奈命中無子:<命中無子>が節、文なので<奈>は副詞。ネット辞書では 奈 nài〈副〉怎奈、無奈的省文 [however]。用於轉折句,表示原因。
とある。
無奈は後に続いて出てくる無可奈何。怎奈(zěn nài)も奈何,無奈の意。 however用於轉折句、の意があるのか。
無可奈何:これはすでに何度も出てきている。どうしようもない。中国人はこの表現が好きなようで、現代中国語では<没有办法>、<没办法>は非常によく耳にする。
俊秀 jùn xiù,意思是指才智傑出的人、これ以外に<容貌秀美>の意もある。
最後のくだり
不過假充養子,聊解膝下荒涼之歎。
がこれまた難しい。
後半の<膝下荒涼 xī xià huāng liáng>は四字成語. 意思:膝下:子女幼時依於父母的膝下。形容沒有子女或子女很少
“假充养子”,假充——假冒的意思(假冒: 假裝冒充、よそおう);养子——收养的儿子,与养父母构成一种新的、与亲生子女同等权利的关系。
これからすると。日本の養子とほぼ同じ。だがなぜここで養子が出てくるのか。
“假充养子” 文字通りでは<養子をよそおう>だがどういう意味か?
(这就有疑问了,明明黛玉是女孩子,怎么是“养子”?明明是亲生,怎么又“假充”?、という意見もある)・
ストーリーで背景説明がないが、なぜか黛玉は母 (賈氏) 方の祖母のところに養子のような形で送られる。
聊解: 了解の意か。
sptt訳
この林如海、姓は林,名は海,如海とも。探花(殿試の第三位)の科挙及第者で,すでに蘭台寺大夫になっていた。本貫は姑蘇人氏。また巡鹽御史になったが就任してからはまだ日が浅い。元来林如海の祖先は世襲の列侯で,如海は第五世。初めの第三世までに今日の隆盛を築き,如海の父が継ぎ、そして如海に至って科挙及第出身ということになった。世襲の祿を食む家系だが,書香の家系でもあった。惜しむらくはこの林家は後継ぎに恵まれず、一族の人員が限られていた。いくつか傍系はあったが、直系は限られ、如海も同様で傍系はあったが直系がいなかった。今如海はすでに五十歲で,三歲の男子が一人いたが,夭逝した,幾人かの側室もいたが、いづれも男子は生まれなかった。男子がないのは運命でどうしようもなかった。正室の賈氏は一女を生んだ。幼名は黛玉,今年五歲。夫妻の手のひらの上の真珠であった。黛玉を見ると生まれながらにして聰明、容貌は目立って美しかった。文字を読めるようにした。しかしながら、養子の話になると、膝下に子がいなくなるのでさびしいかぎりだ。
且說雨村在旅店偶感風寒,愈後又因盤費不繼,正欲得一居停之所,以為息肩之地。偶遇兩個舊友,認得新鹽政,知他正要請一西席教訓女兒,遂將雨村薦進衙門去。這女學生年紀幼小,身體又弱,功課不限多寡,其餘不過兩個伴讀丫鬟,故雨村十分省力,正好養病。
偶感風寒:為不小心感冒
息肩之地: 文字通りでは<肩を休める>。
不限多寡:多すぎることも少なすぎることもない。多寡:多少
省力: 今は駐豪でも<省力化>などというが、元来は<力を(あまり)使わない>の意。
sptt訳
さて雨村は宿屋で風をひき、しばらくして回復したが宿賃が怪しくなってきたので、ひとところ、休めるところに移り住みたくなった。幸い旧友二人が新任の巡鹽御史を面識があり、雨村を巡鹽御史の娘(むすめ)の家庭教師と紹介することなり、巡鹽御史の館の門をくぐった。娘は年若く,しかも病気がちで家庭教師の時間は多くも少なくもなかった。さらに丫鬟二人が付き添っていたので雨村にとっては楽な仕事で、病後のいい 養生となった。
看看又是一載有餘,不料女學生之母賈氏夫人一病而亡。女學生奉侍湯藥,守喪盡禮,過於哀痛,素本怯弱,因此舊病復發,有好些時不曾上學。雨村閒居無聊,每當風日晴和,飯後便出來閒步。這一日,偶至郊外,意欲賞鑒那村野風光。信步至一山環水漩茂林修竹之處,隱隱有座廟宇,門巷傾頹,牆垣剝落,有額題曰「智通寺」。門旁又有一副舊破的對聯云:「身後有餘忘縮手,眼前無路想回頭。」雨村看了,因想到:「這兩句,文雖甚淺,其意則深。也曾遊過些名山大剎,倒不曾見過這話頭。其中想必有個翻過筋斗來的也未可知,何不進去一訪?」走入看時,只有一個龍鍾老僧在那裡煮粥。雨村見了,卻不在意,及至問他兩句話,那老僧既聾且昏,又齒落舌鈍,所答非所問。
看看: いろいろな意味があるが、ここは<看看又是>で<時のたつのは早いもので>。下記参照。
記得小年騎竹馬,[淨]看看又是白頭翁。”明·鄭之珍《目蓮救母·劉氏自嘆》:“日月苦奔馳。記得少年騎木馬,看看又是白頭翁。
风日晴和 fēng rì qíng hé :晴朗的天气信步:漫無目標的隨意行走、散歩。
身後有餘忘縮手,眼前無路想回頭。
雨村看了,因想到:「這兩句,文雖甚淺,其意則深。」と言っているが、どういう意味か?
身後有餘忘縮手:後ろに余裕があるときは手をひっこめることを忘れる。
眼前無路想回頭:前に行きどころがなくなると、後ろをふり返りたがる。
一つの解釈としては
まだ(たとえば金銭に)余裕があるときは節約を忘れる。行き詰ると過去のいい時を思い返したがる。
話頭:禅用語。<身後有餘忘縮手,眼前無路想回頭。>の禅問答ようなもので、解釈させる。
翻過筋斗:これも禅用語のようで、意味は<覚悟成道>とあるが覚悟は<さとり>。成道:達到真正的自知即成道。成道乃是意識的最高狀態,世間所有靈魂的目標和終極命運。成道者持續不斷地體驗神的無限能力、知識和極樂。
<翻筋斗>は<宙返り>のこと。
不在意 bù zài yì:不放在心上。気に留めない。気づかない。
龍鍾 lóngzhōng 年老體衰、行動不便的樣子。<龍鍾>がなぜこのような意味になるのかは不詳。
僧既聾且昏,又齒落舌鈍:老人の形容。昏:老眼昏花。
sptt訳
時のたつのは早いもので一年余が過ぎたとここで、思いもよらずに女學生の母賈氏夫人が病にかかり死んでしまった。女學生は付き添っては薬を与え、死後は礼にのっとて喪に服したが、悲しみのあまり、もともと丈夫でない身が弱まり、病が再発したため、授業はしばしば取りやめとなった。雨村は家でやることもなく、天気がいい日は食後に散歩に出かけた。ある日、郊外に行って村の風景を楽しみたいと思った。特に目的もなく、山あり水ありのところを進んで竹藪のところに来た。隠れたところに寺があり、門は傾いていたみ、壁はところどころはげ落ちていたが「智通寺」という額が掛かっていた。門の両脇には
身後有餘忘縮手,眼前無路想回頭。
という一副の古くて一部が破れた古い對聯が掛かってた。
雨村はこれを見ると「この兩句の文句は見た目は浅いが,その意味はなかなか深い。凍れまで名山大剎を見てきたが,このような話頭に出会ったことはなかった。中にはきっと<覚りと大きな道が>があるかも知れれぬ,中に入ってみようか?」入ってみると、龍鍾の年老いて動きがのろい僧が一人お粥を作っていた。雨村はこれを見て、特に気もかけず声をかけてみたが、どうも耳が遠く、目も弱っていて、さらには歯も抜けていて、舌の動きもおぼつかないようすで、答えは返って来なかった。
雨村不耐煩,仍退出來,意欲到那村肆中沽飲三杯,以助野趣,於是移步行來。剛入肆門,只見座上吃酒之客,有一人起身大笑,接了出來,口內說:「奇遇,奇遇!」雨村忙看時,此人是都中古董行中貿易,姓冷號子興的,舊日在都相識。雨村最讚這冷子興是個有作為大本領的人,這子興又借雨村斯文之名,故二人最相投契。雨村忙亦笑問:「老兄何日到此?弟竟不知。今日偶遇,真奇緣也!」子興道:「去歲年底到家。今因還要入都,從此順路找個敝友說一句話,承他的情,留我多住兩日。我也無甚緊事,且盤桓兩日,待月半時也就起身了。今日敝友有事,我因閒走到此,不期這樣巧遇!」一面說,一面讓雨村同席坐了,另整上酒肴來,二人閒談慢飲,敘些別後之事。
耐煩 nài fán: (めんどうを)がまんする、できる
肆 sì 市場、店鋪。如:「酒肆」、「茶肆」
沽 gū :買、~酒。~名釣譽
口內說?
ネットで調べてみると
黛玉聽了這話,口內雖如此說,心內未嘗不傷感,
とあるので、実際<口にする> ということか。
本領 běn lǐng:能力、才能がある。日本語では<本領を発揮する>という言い方だ。
投契 tóu qì:投合、見解或意气相投。<意気投合>二近いが、もっと長期的なもの。
敝友 bì yǒu :對別人謙稱自己的朋友。日本語でも<弊社>というのがある。
說一句話:to say a word.
承他的情:これはやや難しい
承情 chéng qíng :領受他人恩情的客套話
客套話:意思是為表示客氣所説的話,如“勞駕、借光、慢走、留步”等;常見的話:“今天你又更帥了!”“你又長高了!”“你又瘦了!”“你這件衣服和你好配!”等
ということなので、冷子興は<友人が言ったこと>受けて、ということになる。だが<客套話>はまともにとると往々にして問題をおこす。
盤桓 pán huán:徘徊、逗留
起身 qǐ shēn
‘1.離開座位、起立。
【例】他在這裡閒聊了一會才起身告別。
2.動身、出發。
【例】明天一早,他將起身到南部演講。
3.起床。
【例】每天天還未亮,他就起身到公園做早操。
ここは<2.動身、出發>だろう。
敘些別後之事
敘は<敘談敘談>とか<敘敘談談》という言い方があって、<話をするここと>
<別後之事>は<お互い音信不通になってからのこと>だろう。
Sptt訳
雨村はめんどうなのに耐えられず、寺から出てきた。村で店舗が並んでいるところの酒屋で一杯やりたくなった。山野を愛でながら歩いて行った。酒屋に入ってみると、酒を飲んでいる男が一人いた。男は起き上って大笑いし、雨村を迎えて言った:「奇遇だ,奇遇だ!」雨村がすかさず見ると、それは城内で古董商をしている、姓は冷、名は子興で、昔からのなじみの者だった。雨村は冷子興を尊敬し能力にある人物とみなし、一方冷子興は雨村を文才のある人物とみなし、お互いに意気投合していた。雨村は笑いながら言った:「兄さんはいつからここに。舎弟は知りませんでした。今日遭遇するとはまさに奇緣です!」子興は答えた:「昨年末に家にもどった。今また城内に入るところなのだが、道で友人に会い、友人が言ったので、二日ほどここにとどまることになった。私はなにも急ぐことはありません。二日ほど滞留してから出発します。この友人今日は用事があるので、私はここに来ました。あなたに会うとは思いもよりませんでした!」と言いながら雨村に同席した。酒肴 (さけさかな) を持ってこさせ、お互い音信不通になってからのことをいろいろ話した。
さてこれから後半部の《冷子興演說榮國府》になる。実際は寧国府と榮国府の最新ニュース (新聞) の紹介で、<さわり>だが紅楼夢の背景の簡単な導入でもある。おもしろいのは、語り手の冷子興の紹介が、前節にある<城内で古董商をしている>だけなのだ。これには作者の意図があるようだ。このようなあえて不十分な人物紹介はこれからもあちこちに見られる。おそらくミステリー性を高めるため (手法) だろう。さらには<簡単な導入>長いストーリを小出しにする手法とも言える。
雨村因問:「近日都中可有新聞沒有?」子興道:「倒沒有什麼新聞,倒是老先生的貴同宗家出了一件小小的異事。」雨村笑道:「弟族中無人在都,何談及此?」子興笑道:「你們同姓,豈非一族?」雨村問:「是誰家?」子興笑道:「榮國賈府中,可也不玷辱老先生的門楣了!」雨村道:「原來是他家。若論起來,寒族人丁卻自不少,東漢賈復以來,支派繁盛,各省皆有,誰能逐細考查?若論榮國一支,卻是同譜。但他那等榮耀,我們不便去認他,故越發生疏了。」子興歎道:「老先生,休這樣說!如今的這榮寧二府也都蕭索了,不比先時的光景。」雨村道:「當日榮寧兩宅,人口也極多,如何便蕭索了呢?」子興道:「正是,說來也話長。」雨村道:「去歲我到金陵時,因欲游覽六朝遺跡,那日進了石頭城,從他宅門前經過,街東是寧國府,街西是榮國府,二宅相連,竟將大半條街占了。大門外雖冷落無人,隔著圍牆一望,裡面廳殿樓閣,也還都崢嶸軒峻;就是後邊一帶花園裡,樹木山石,也都還有蔥蔚洇潤之氣:那裡像個衰敗之家?」子興笑道:「虧你是進士出身!原來不通!古人有言,『百足之蟲,死而不僵』,如今雖說不似先年那樣興盛,較之平常仕宦人家,到底氣象不同。如今人口日多,事務日盛,主僕上下都是安富尊榮,運籌謀畫的竟無一個。那日用排場,又不能將就省儉。如今外面的架子雖未甚倒,內囊卻也盡上來了。--這也是小事,更有一件大事:誰知這樣鐘鳴鼎食的人家兒,如今養的兒孫竟一代不如一代了!」雨村聽說,也道:「這樣詩禮之家,豈有不善教育之理?別門不知,只說這寧榮兩宅,是最教子有方的,何至如此?」
新聞: 新聞 (しんぶん) ではなくニュースのこと。
異事 yì shì:1.别的事。 2.指职司不同。 3.不平常的事;特别事件。 4.奇怪的事;难以理解的
及此:文字通りでは<ここに、そこに及ぶ>だが、<何談及此?>で<何をいっているのか>。
玷辱 diàn rǔ:使蒙受耻辱,屈辱を受ける
門楣 mén méi
1.門戶上邊的橫梁。
2.家族、門第。
若論の <論>は按照,依照。
寒族人丁:寒族: 出身低微的人、人丁: rén dīng:原指成年男子,後泛指人口
不便去認他
認 rèn 認める。現代語では<认识(人)>がよく使われる。
<不便>が難しい。<不便>ではない。<便>一語では
便宜:①物價低廉。如:「這本書真便宜!」②得利益、不吃虧。如:「占便宜」、「得了便宜還賣乖。」③寬容、放縱。如:「這樣做太便宜他了!」
とあるので、<利益を得るために彼らを認めるようなことはしない>か。
<蕭索了>は重要語(キーワード)で
蕭索 xiāo suǒ:荒涼,冷落,蕭條、淒涼;缺乏生機、不熱鬧;稀疏;淡漠;衰頹
これが<うわべ>とは違ってストーリの背景にある。これを第二回のここで使っているのは大きな意味がある。紅楼夢は<蕭索 xiāo suǒ>ストーリなのだ。
廳殿樓閣
廳:聚會或招待客人用的大房間:廳堂。客廳。
殿:高大的廳堂。如:「宮殿」、「殿堂」、「金鑾殿」。
樓: これは説明がいらないだろうが, 兩層以上的房屋。
閣:樓房的建築
いずれも大きい部屋があるまたは高い建物。
崢嶸軒峻 zhēng róng xuān jùn:高大雄偉,很有氣勢
蔥蔚洇潤 wěng wèi yīn rùn:茂盛潤澤的樣子
- 虧 kuī 多義語
-
<虧你是進士出身>は7番目。6番目の<幸虧>もよく聞く。Luckily。
百足之蟲,死而不僵 bǎi zú zhī chóng , sǐ ér bù jiāng
事雖然衰亡敗落,但尚能維持興旺繁榮的假象
<百足之蟲,死而不僵(百足虫は死んでも硬直しない、動いている)>がこのような意味になるのはいろいろ論議がある。
仕宦 shì huàn: 做官
氣象 qìxiàng : 事物的情況、情勢
運籌謀畫的竟無一個
これはやや難しい。
運籌 yùn chóu: 籌劃;制定策略,進行謀劃。strategy and operation
謀畫 móu huà: "謀劃"。.謀略、打算。 籌謀策劃。strategy
<竟>jìng:はよく出て来るが多義語。ここは副詞で<結局のところ>といった意味か。口語でh<究竟>という言い方がある。
那日用排場,又不能將就省儉。
これも難しい。
排場 pái chang :鋪張奢侈的形式和場面。《紅樓夢》第二回:「如今生齒日繁,事務日盛,主僕上下安富尊榮者儘多,運籌謀畫者無一;其日用排場,又不能將就省儉。」
つまりは<うわべだけ贅沢にふるまう> ということ。
將就 jiāng jiu :これは<將>+<就>ではなく<將就>で熟語。對事物不太滿意,勉強(miǎnqiǎng:能力不足而強爲之、使人做他不願意做的事、心中不願而強爲之)適應.
近義詞: 湊合、對付、遷就、馬虎、敷衍、搪塞、苟且、支吾、草率。
<敷衍>は日本語では敷衍(ふえん)で、死語に近いが意味がまったく違う。上の<勉強>も同じで日本語の<勉強(べんきょう)>は意味がまったく違う。
<將就>は<身を入れずに、いいかげんに、適当にする>
雖說不似先年那樣興盛,較之平常仕宦人家,到底氣象不同。
も難しい。
雖說 suī shuō:単なる譲歩(althugh)で意味が通らない。縱然 even if;even though:即使jí shǐ:表示假設的譲歩。さらに<雖說雖說不似先年那樣興盛,較之平常仕宦人家>は<不>を訳すと意味が通らない。
內囊卻也盡上來了。
架子 jiàzi : framework內囊 nèi náng : 家產、資財, 囊: 口袋、袋子。背嚢(背嚢)という日本語があった。
誰知這樣鐘鳴鼎食的人家兒,如今養的兒孫竟一代不如一代了!
鐘鳴鼎食 zhōng míng dǐng shí :古代富貴人家吃飯時、擊鐘為號、列鼎而食。形容生活極為奢華。一代不如一代 yī dài bù rú yī dài一代比一代差。越來越差。
と<蕭索 xiāo suǒ>の状況が立て続けにでてくる。効果満点。
教子有方 jiào zǐ yǒu fāng:子女教育得很好
最後の<何至如此?>は反語で <會或不應該到這種地步(そのようなことがあろうか?)>
Sptt訳
雨村が問うた:「最近何か城内の消息がありますか?」子興は言った:「ないことがありありますか?そもそも貴殿の同族で少し変なことはありませんか?」雨村は笑いながら言った:「小生の同族は城内にいません。何をいっているのですか?」子興もは笑いながら言った:「貴殿は同姓、一族ではないのですか?」雨村は問うた:「誰が一族ですか?」子興言った:「榮国府は賈家です。恥ずかしいところにない立派な貴殿の門閥でしょう!」雨村は言った:「元来私どもの家系は彼等とは別。起源をたどれば起來,身分は低く家系の人口も多くはない。東漢の賈復以來、その一派は栄え、各省に散らばっている。細かく調べようとする者はいないだろう。榮国一派につて言えば,同系だで、彼らは繁栄しているが、私どもは利益を得るために彼らを認めるようなことはしなかったので、ますます疎遠になってしまっている。」子興は嘆くように言った:「先生、そんなことを言うのはやめましょう。如今的這榮国、寧国の二府はともに衰え始めていて、前の時代の状況とは比べられません。」雨村は言った:「今日榮国、寧国の二府とも人はたくさんいて、なぜまた衰退し始めているなどというのですか?」子興は言った:「もっとも。だが話せば長くなる。」雨村は言った:「昨年金陵(南京)に来た時、六朝時代の遺跡を見たく、あのとき石頭地区に行った。いくつかの府の前を通り過ぎると、東は寧国府、西は榮国府で、両府を合わせると,道々の大半を占めていた。大門の外は人影がなく荒涼としていたが、塀の中を一望すると、中は立派で大きな部屋がある建物、高い建物が並び、大きな勢いが感じられた。一方後ろへ回れば広い庭で、樹木山石があり、樹木が茂ってうるおいのある感じだった。いったいどこに衰退の兆しがあるのか?」子興笑って言った:「貴殿は進士出身ではなかったか!事情にうといといものだのだ!古人曰く『百足之蟲,死而不僵』(百足虫は死んでも動いている)>。いまは仮に以前のような隆盛、普段の高官の家族とは違わないと言ったとしても、状況はまったく違う。いまは人も多く、日常のやり取りも盛んで、主僕上下とも富み栄えているが、将来計画もなければ、その実行もない。今は贅沢を装っていて、倹約がなされていない。外面はまだ崩れていないが、内面は崩れてきている。小さなことのようだが、実際は大ごとだ。生活は食足りて贅沢にみえるが、一世代ごとにおちぶれている!」雨村はこれを聞いて言った。:「そのような詩礼の家庭では教育が重要と考えているにではないか?ほかの家族は知らないが,寧府、榮府両家族では子どもによい教育をしているはずだ。そのようなこと(一世代ごとにおちぶれている)があろうか?」
次は具体的な主要登場人物の紹介。登場人物が多く、長いストーリを読み続けていく助けになる。これは作者の配慮だ。
子興歎道:「正說的是這兩門呢!待我告訴你:當日寧國公與榮國公是一母同胞弟兄兩個。寧公居長,生了兩個兒子。寧公死後,長子賈代化襲了官,也養了兩個兒子。長子名賈敷,八九歲上死了。只剩了一個次子賈敬,襲了官,如今一味好道,只愛燒丹煉汞,別事一概不管。幸而早年留下一個兒子,名喚賈珍,因他父親一心想作神仙,把官倒讓他襲了。他父親又不肯住在家裡,只在都中城外和那些道士們胡羼。這位珍爺也生了一個兒子,今年纔十六歲,名叫賈蓉。如今敬老爺不管事了。這珍爺那裡幹正事?只一味高樂不了,把那寧國府竟翻過來了,也沒有敢來管他的人。再說榮府你聽:方纔所說異事就出在這裡。自榮公死後,長子賈代善襲了官,娶的是金陵世勳史侯家的小姐為妻,生了兩個兒子:長名賈赦,次名賈政。如今代善早已去世,太夫人尚在。長子賈赦襲了官,為人卻也中平,也不管理家事。惟有次子賈政,自幼酷喜讀書,為人端方正直,祖父鍾愛,原要他從科甲出身;不料代善臨終,遺本一上,皇上憐念先臣,即叫長子襲了官,又問還有幾個兒子,立刻引見,又將這政老爺賜了個額外主事職銜,叫他入部習學,如今現已陞了員外郎。這政老爺的夫人王氏,頭胎生的公子名叫賈珠,十四歲進學,後來娶了妻,生了子,不到二十歲,一病就死了。第二胎生了一位小姐,生在大年初一,就奇了。不想隔了十幾年又生了一位公子,說來更奇:一落胞胎,嘴裡便啣下一塊五彩晶瑩的玉來,還有許多字跡。你道是新聞不是?」
胡羼 hú chàn:猶鬼混。
猶 yóu : 好像、如同。
鬼混 guǐ hùn:形容糊里糊塗地混日子。
混日子 hùn rì zǐ:生活等方面過得不怎麼好,無明確目標,沒有理想,沒有抱負,工作沒有責任心。
好道 hǎo dào 多義語: 1.好主意。 2.猶好歹。無論如何。 3.猶好歹。將就;勉強。 4.表示反詰,相當于莫非,難道。
燒丹煉汞 shāo dān liàn gǒng:不老長寿の薬。煮たり焼いたりして作る。西洋では錬金術があった。汞は今は水銀のことだが、液体一般か。
世勳:幾世代にわたって功労のある。
科甲 kē jiǎ :科舉
原要他從科甲出身
これは難しい。
科甲 kē jiǎ :科舉
科甲出身には 1.谓由科举及第而取得入仕的资格。 2.指科举制中的等第资格。
の二つがあり、後の内容からすると、ここは2と思われる。
要:多義語。ここは<要他從科甲出身>となっているので<彼に科举及第二準ずることを求める>で、頭の<原>は<元来>。
不料 bù liào:沒想到
遺本:遺表。遺言のこと。
< 一上>は遺言を皇帝に出していた>ということか? おそらく遺言では<賈政が継ぐように>となっていたのだが、皇帝は通例にしたがって賈赦に継がせた、とういことだろう。
入部习学:清代官制,任为“额外主事”的,要在部学习三年,期满后才选优良者任实职。选不上的则改任助教、博士等。不用译,是官职制度。
員外郎:清代六部的职官设置依次是:尚书、侍郎、郎中、员外郎、主事、笔帖式、经承。细心的读者会发现,六部尚书、侍郎分别是从一品、正二品大员,而不设三品、四品官,职责很重权力很大的郎中、员外郎级别较低,分别是正五品和从五品。
末尾の<参考>参照
晶瑩 jīng yíng :明亮透澈
Sptt訳
子興は嘆くように言った:「まさしくこの両門閥だ!当時は寧国公と榮国公は一母の同胞兄弟兄ふたり。寧公は長生きし、息子が二人いた。寧公の死後,長子の賈代化が官職を継ぎ,これまた息子が二人いた。長男の名は賈敷。だが八、九歲で死んでしまった。残ったのは次男の賈敬で,官職を継いだ。いまはひたすら燒丹煉汞に凝って、他のことは無関心。幸い早いうちに息子ができ、名を賈珍といった。この賈珍も父親と同じく神仙に凝っていたが、官職を継いだ。彼も父親もたいていは家にはいず、城市内外の道士たちとわけのわからない日々を送っている。賈珍には息子が一人できた。今年まだ十六歲で、名を賈蓉という。今賈敬は世事には無関心。賈珍も世事をまともにやっておらず、ひたすら好きなことをやっているだけだ。寧国府はもうひっくり返っているが、だれも助ける者はいない。さて榮国府だが、異常事が発生してきていると言っていい。榮公死後、長子の賈代善が官職を継ぎ、金陵の由緒ある功労家の史侯家の娘を妻とした。二人の息子があり、長男の名は賈赦、次男の名は賈政。代善は早く世を去ったが、夫人は尚健在。長男賈赦が官職を継いだが,人物は中程度で、家事には無関心。次の賈政は子供のころから勉強好きで、人物は実直、祖父の寵愛を受けた。原来賈政は科挙及第になるはずであったが、思わぬ父代善の死があり、また遺言が皇帝に出されていた。皇帝は臣下を憐み、長男の賈赦が官職を継がせたが、他に息子がいないかを問い問いただし、いるのがわかるとすぐに引見し、賈政に額外主事職の地位を与え、さら入部習學の資格を与え,今はすでに員外郎の地位のある。この賈政の夫人は王氏で、第一子を生んで名を賈珠といった。十四で進學し,その後妻を娶り、その妻は一子を設けたが二十歲に至らず病死。二番目は女子で、十歳まで生きた。さらに数年後に思いもかけずに男子を生んだ。奇怪なことだが、さらに奇怪なのはこの男子は生まれたときに、口の中から五彩に輝く明亮透澈の玉(ぎょく)をはきだした。この玉には少なからずの文字が刻まれていた、ということだ。貴殿はこれをご存じか?」
雨村笑道:「果然奇異!只怕這人的來歷不小。」子興冷笑道:「萬人都這樣說,因而他祖母愛如珍寶。那週歲時,政老爺試他將來的志向,便將世上所有的東西擺了無數叫他抓,誰知他一概不取,伸手只把些脂粉釵環抓來玩弄。那政老爺便不喜歡,說將來不過酒色之徒,因此便不甚愛惜。獨那太君還是命根子一般。說來又奇:如今長了十來歲,雖然淘氣異常,但聰明乖覺,百個不及他一個。說起孩子話來也奇。他說:『女兒是水做的骨肉,男子是泥做的骨肉。我見了女兒便清爽,見了男子便覺濁臭逼人!』你道好笑不好笑?將來色鬼無疑了!」雨村罕然厲色道:「非也。可惜你們不知道這人的來歷。大約政老前輩也錯以淫魔色鬼看待了。若非多讀書識事,加以致知格物之功,悟道參玄之力者,不能知也。」
只怕 zhǐ pà:只是担心、牵挂。犹恐怕。疑虑或估计。
週歲 zhōu suì:年齡滿一歲
擺 bǎi:陈列,安放抓 chuǎ:掴(つか)む。<つかむ><手で取る>は色々あるが大体は<手偏>漢字だ。
脂粉釵環
脂粉:胭脂和香粉,均為化妝用的物品;舊時借指婦女
釵環 chāi huán:釵簪(かんざし)と耳環(みみわ、耳輪)
太君:官員母親的封號。ここでは賈政の母
命根子 mìng gēn zi :是被认为是生命或精力来源的东西;喻最重要或最受重视的事物、最喜爱、心爱的东西。
一般 yì bān :日本語の<一般>の意もあるが、このような使い方では同樣、同等、一样の意になる。つまりは<命根子のように>ということ。
淘氣 táo qì :調皮、naughty;mischievous
聰明:かしこい
乖覺 guāi jué :機警靈敏。<機敏>ということか>
<聰明乖覺>は四字成語にもなっていて<聰敏機靈>の意。聡明で機敏。
ところで<乖、guāi > だけではは子供の性格の形容としては naughty の反対で
<小孩懂事聽話,不吵鬧>。
百個不及他一個:百人でも彼一人にかなわない、ということか。
說起:文字通りでは<言い起す>、說起來<言い起してくる>
起来、下去、出来、出去都是趋向补语,在句子中作补语。
趋向补语都有他们自己的基本意义,如,“起来”指由低像高移动;“下去”指由高向低移动“出来”指由里面移动到外面;“出去”也指由里面移到外面。
<說起孩子話來也奇>はどう訳したらいいのか。<孩子話>は入れ子に入っているのか。<その子が言ったことをとり上げてみると、これまた奇怪で>ともなるか。
<罕然厲色>は四字成語ではない。baudu の解説では
”
罕 hǎn:稀少。厉: 严肃: 应该解释为:面色忽然变得有些严肃的样子。这里的神色描写,应该是表明贾雨村,感觉贾宝玉这个人的来历不简单,所以他不敢妄下定论。“罕然”在不同的语境中有不同的释义,也可以解释为:“忽然明白、想起”的意思。
<罕然>は初見だが、<罕見、罕聞>はときどき見る。
”
<罕然>は初見だが、<罕見、罕聞>はときどき見る。
神色 shén sè : 描写
厉(厲)lì
历(歷)lì
というのがある。 発音は同じ。簡体字では似ているが<似て非なる>もの。<厉害>というのはよく聞く。
<非也>と強く否定して、自説を展開しているが、雨村は第一回で登場しているが、この辺に事情はしっているのである。
看待 kàn dài : 对待;视为
大約 dà yuē :對數量的推測、估計的數目不十分精確
致知格物
昔はこれを知っている人がそこそこいたと思うが今はほぼ皆無だろう。ネットで調べてみると。
とある。
悟道參玄
こちらの方は昔も今も知っている人は皆無だろう。
文字通りでは
悟道:道を悟る。
<參玄>の方はやや難しく、<參>は参加の<參>ではない。<参透玄妙>という四字成語のような言い方があり、これの略語と言える。
参透 cān tòu (動詞):参破、透彻地领悟。<參>の発音は cān (ツァン)だ。参加の方もcānjiāと発音する。玄妙 xuán miào: 深奧微妙玄
Sptt訳
雨村は笑いながら言った:「確かに奇異なことだ!その子の来歴はそう簡単なものではないだろう。」子興は冷めた笑いをうかべながらいった:「皆もそういう。だから祖母は珍しい宝物を扱うようにかわいがった。一歳を迎えた時の将来占い遊技では、政老爺はその子の将来がどうなるかを試すため、世にあるいろいろなもの用意して並べその子が何をつかむかを試してみた。だがその子は何もつかまず、女性が身に着けている簪 (かんざし) に手をばして取り、もてあそびだした、政老爺は不機嫌で、<これは将来<酒色のやから>になるのか、と言い、愛でることはしなかった。ただ祖母はその子を一番気に入ったものにように扱った。さらにまた奇怪なことは:十歲になると、やんちゃなのは人一倍であったが、聡明でもあり機敏でもあり、それは百人にひとり、といえるほどであった。その子が口にした言葉で奇怪なこと言えば、その子は:『女子の骨と肉は水からできていているが、男子の骨と肉は泥 (どろ) からできている。女子は清らか、男子は汚れて臭い限りだ!』といった。貴殿はおもしろい話とは思いませんか? 将来色魔疑いなしだ!」雨村は厳粛そうな様子を見せて言った:「いやそれは違う。惜しむらくは貴殿たちはその子の来歴を知らないのだ。大体政老爺たちは淫魔色鬼になるとみているが、見間違いというものではないか。多くを学び、物事の理を知る能力を身につけ、さらには世の中の奥義を悟ることができるようにならなければ、本当のことはわからいのだ。」
子興見他說得這樣重大,忙請教其故。雨村道:「天地生人,除大仁大惡,餘者皆無大異。若大仁者,則應運而生;大惡者,則應劫而生。運生世治,劫生世危。堯、舜、禹、湯、文、武、周、召、孔、孟、董、韓、周、程、朱、張,皆應運而生者;蚩尤、共工、桀、紂、始皇、王莽、曹操、桓溫、安祿山、秦檜等,皆應劫而生者。大仁者修治天下,大惡者擾亂天下。清明靈秀,天地之正氣,仁者之所秉也;殘忍乖僻,天地之邪氣,惡者之所秉也。今當運隆祚永之朝,太平無為之世,清明靈秀之氣所秉者,上自朝廷,下至草野,比比皆是。所餘之秀氣,漫無所歸,遂為甘露,為和風,洽然溉及四海。彼殘忍乖僻之邪氣,不能蕩溢於光天化日之下,遂凝結充塞於深溝大壑之中,偶因風蕩,或被雲摧,略有搖動感發之意,一絲半縷,誤而逸出者,值靈秀之氣適過,正不容邪,邪復妒正,兩不相下,如風水雷電,地中相遇,既不能消,又不能讓,必至搏擊掀發後始盡。既然發洩,此氣亦必賦之於人。假使或男或女,偶秉此氣而生者,上則不能為仁人為君子,下亦不能為大凶大惡,置之千萬人之中,其聰俊靈秀之氣,則在千萬人之上;其乖僻邪謬不近人情之態,又在千萬人之下。若生於公侯富貴之家,則為情癡情種;若生於詩書清貧之族,則為逸士高人;縱然生於薄祚寒門,甚至為奇優,為名娼,亦斷不至為走卒健僕,甘遭庸夫驅制。如前之許由、陶潛、阮籍、嵇康、劉伶、王謝二族、顧虎頭、陳後主、唐明皇、宋徽宗、劉庭芝、溫飛卿、米南宮、石曼卿、柳耆卿、秦少游,近日倪雲林、唐伯虎、祝枝山,再如李龜年、黃繙綽、敬新磨、卓文君、紅拂、薛濤、崔鶯、朝雲之流,此皆易地則同之人也。」
この節は難しい、というか参考に出て来る人物が多岐にわたっていて、発言の趣旨がよくわからないのだ。ネット上ではいろいろ<紅学>論議がある。
大仁者と大惡者 (人) が出てて、歴史上のそれぞれの代表者の名前がでてくる。大仁者の方は大いに儒教からきていて、カテゴライズ、パターン化されて、中国人であればなじみがある名前だろう。
1.尧、舜、禹、汤、文、武——儒家最为崇拜的六位大圣人。尧、舜、禹,上古禅让制圣王。汤、文、武,商、周开国帝王。
2.周、召——周公、召公,周朝两位开国功臣。其中周公制定的礼乐制度成为儒家推崇的政治典范。
3.孔、孟——儒家创始人孔子、亚圣孟子。
4.董、韩、周、程、张、朱——经学时代儒家七位代表人物。董仲舒,西汉大儒,首倡“罢黜百家,独尊儒术”及“三纲五常”等封建伦理道德。韩愈,唐代大儒,攘斥佛老,重振儒学,首倡道统,发起古文运动。周敦颐、程颐、程颢、张载,北宋理学大师。朱熹,南宋理学大师,其学说成为封建后期的统治思想。
大惡人の方はあまり儒教とは関係ないが、不忠、不義は儒教と関係がある。
5.蚩尤、共工——上古神话中的两大反贼。蚩尤曾兴兵伐黄帝,兵败被杀(《山海经·大荒北经》)。共工争夺帝位失败,怒触不周山,后为禹所驱逐(《淮南子·本经训》)。
6.桀、纣、始皇——夏、商、秦著名暴君。
7.“王莽”句——历代著名奸臣贼子。王莽篡夺西汉政权,建立短命的“新”王朝;曹操篡夺东汉政权;桓温阴谋篡夺东晋政权,未成先死;安禄山发动安史之乱;秦桧诬杀岳飞。
生人 shēng rén:不相識的人。互相不熟悉的人,陌生人。
應運而生 yìng yùn ér shēng:應天命而產生。順應天命或時勢而產生
應劫而生:为了应付灾难而诞生
劫 jié
- 強取、搶奪。如:「打劫」、「搶劫」、「劫持」、「打家劫舍」。
- 災難、災禍。如:「浩劫」、「劫難」、「劫數」、「劫後餘生」。
となっているが、後から出てくる <大仁者修治天下,大惡者擾亂天下>とは因果関係が逆になっている。
秉 bǐng
- 用手執握。如:「秉燭」、「秉筆直書」。
- 主持、掌握。如:「秉政」、「秉國」、「秉公處理」。
乖僻 guāi pì
性情乖張偏執,也指性格古怪、孤僻,和別人合不來。
性情乖張偏執。《紅樓夢》第二回:「殘忍乖僻,天地之邪氣,惡者之所秉也。」
乖だけでは、上で贾宝玉の性格として<聰明乖覺>としてでてきたが、調べてみると相反する意味がある。
乖 guāi
- 指小孩懂事聽話,不吵鬧。如:「乖寶寶」。
- 聰明、機伶。如:「上一次當,學一次乖。」
- 不順、不和諧。如:「乖戾」、「命運乖舛」。
清明靈秀
清:清正、廉洁的意思。明:清楚,清晰,通透的意思,如:明察秋毫。灵秀:应是指一个的钟灵秀气(*)吧,指一个的气质。强调的是“正”也好、“仁”也好,都要求前面的“清明灵秀”。
钟灵秀气: これは<钟灵+秀气>ではなく<钟+灵秀之气>だろうがよくわからない。
灵秀 líng xiù:清秀美好、灵活、美丽。
運隆祚永 yùn lóng zuò yǒng:國運隆盛興旺,帝統傳世久。 祚:皇位、國統。
漫無所歸:文字通りでは<帰するところなく満ちる>。
漫:溢出、滿溢、充滿、遍佈。
漫:弥漫。空中无所依附 (よるところ、出て来るところなくして空中に満つ)
to suffuse, to fill the air
この箇所の解説として
zhidao.baidu
というのがある。
蕩溢 tāo dàng:1、廣大貌。2、激盪,波動。
光天化日 guāng tiān huà rì
「光天」,指陽光普照之天。語出《書經.益稷》。「化日」,指承平無事之日。語本漢.王符〈愛日篇〉。「光天化日」指政治清明的太平盛世。後亦用「光天化日」比喻在大白天裡,人人都看得清楚的場合。
壑 hè:坑谷,深溝、溝深谷,深溝
摧 cuī
- 破壞、殘壞。如:「摧殘」、「摧毀」、「無堅不摧」。
- 折斷。如:「摧折」、「摧枯拉朽
略有 lüè yǒu:擁有 (yōnɡ yǒu 釋義:領有、具有)
一絲半縷 yī sī bàn lǚ:一条丝,半条线,形容非常细微,出自清朝曹雪芹的《红楼梦》
值靈秀之氣適過: これは難しい。
<值xx適過>の構造。
適過 shì guò:
責備
zé bèi:to blame、譴責
動詞としての<值>には
春宵一刻值千金
というのがあるが、千金は名詞。適過は英語では to blame と動詞になっているが、中国語では、そのままで動詞、名詞、形容詞いずれでもいい。<值>は相当の多義語で<相 (あい) 対する>という意味もある。したがって
值靈秀之氣適過は
(殘忍乖僻之邪氣は)靈秀之氣と相 (あい) 対して譴責する
の意にならないか?
如風水雷電,地中相遇
もよくわからない。<風水>は <風と水>ではなく<風水占い>に通じる<風水>だろう。<雷電>はよくわからない。<地中相遇>は少し前の<一絲半縷>に関連させて<目に見えないところで争う>としたらどうか?
必至搏擊掀發後始盡は
一つの解釈として<正邪俩股气相遇,必定要斗到最后才算完>というネット検索で出てきた。
搏擊掀發 tuán jí xiān fā:互相衝擊鼓盪
發洩 fā xiè:放散出來
既然發洩,此氣亦必賦之於人。
<赋 fù>は文学用語で赋形式に文となるが(詩の一種、赤壁の賦というのがある)、これとは別に日本語でも<天賦の才能>、賦与という言い方<与えられたもの>の意がある。今はほとんど聞かないが、ひと昔前には<月賦>というんがあり、<月ごとに割り当てた後払いだ>。
Baike-Baidu では<正邪两赋>というタイトルで、タイトルに反して<正>、<邪>に加えて<情>を変えた<三つどもえ>の論を展開しいる。<正邪两赋>は紅学のトピックのひとつで、ネット上でいろいろ展開されている。話は長いので末尾の参考を参照。
發洩 fā xiè:放散出來
假使 jiǎ shǐ : 如果
置之:放置する
乖僻邪谬 guāi pì xié miù 性格古怪孤僻,不近人情。出自清·曹雪芹《红楼梦》
不近人情 bù jìn rén qíng 不親近人的感情,不人性化,性情或言行怪僻
假使 jiǎ shǐ:如果
情癡情種 :痴情的儿女。《红楼梦》2回:“若生于富贵公侯之家,则为~。”△多用于指男女恋情。
縱然 zòng rán :使 even if;even though;granted
薄祚寒門 bó zuò hán mén:貧賤低微的門第、貧民家
甚至 shèn zhì:所提出的是突出的、进一步的事例
奇優:古代 优是指优伶,倡是娼妓 意思是说古代有名的艺人
优伶:具有身段本事突出的演藝人員。優是男演員,伶是女演員。
斷不至:よくわからないが、日本語では<断じてxxない>という<ない>の強調の言い方がある。
走卒健僕
走卒 zǒu zú:供人差遣奔走的奴僕、差役、比喻受人豢養而幫助作惡的、被利用來爲他人目的效勞的人
健僕: 壮健な下僕
甘遭庸夫驅制
<甘遭>がよくわからない画<甘んじてxxを受ける>の意か?
<遭>には次の意味がある。
- 遇、逢。如:「遭遇」、「遭受」、「遭逢毒手」。
- 被、受。如:「遭人陷害」、「慘遭淘汰」。
これも<斷不至甘遭庸夫驅制>としないと意味が通らない。
庸夫:平庸的人
この後に文人(詩人、画家、書家、文人皇帝を含む)や有名芸人の人物名が列挙されている。
許由、陶潛、阮籍、嵇康、劉伶、王謝二族、顧虎頭、陳後主、唐明皇、宋徽宗、劉庭芝、溫飛卿、米南宮、石曼卿、柳耆卿、秦少游,近日倪雲林、唐伯虎、祝枝山,再如李龜年、黃繙綽、敬新磨、卓文君、紅拂、薛濤、崔鶯、朝雲
10.“许由”句——历代著名逸士高人。许由,尧时代的隐士。陶潜、阮籍、嵇康、刘伶,魏晋隐士,后三人并为“竹林七贤”名士。
11.“王谢二族”句——历代著名情痴情种。王谢二族,即东晋王导、谢安两大家族,人才辈出,著名的有谢安、谢道韫、王羲之、王献之等。顾虎头,东晋画家,善人物画,六朝四大家之一,世称其为才绝、画绝、痴绝“三绝”。陈后主,南朝陈末代皇帝,词作家。唐明皇,盛唐皇帝,音乐家、词曲作家、书法家。宋徽宗,北宋末代皇帝,书画家,创瘦金体,善花鸟画。刘庭芝,盛唐诗人、琵琶演奏家。温飞卿,晚唐诗人、音乐家,花间词鼻祖。米南宫,北宋书画家,宋四家之一。石曼卿,北宋诗人、书法家。柳耆卿,北宋词人,婉约派巨擘。秦少游,北宋词人、书画家,苏门四学士之一,其词被称为“妇人语”“女郎诗”。倪云林,元代山水画家,善画墨竹。唐伯虎,明代画家。祝枝山,明代书法家。
12.“李龟年”句——历代著名奇优名倡义侠。李龟年,唐玄宗时宫廷乐师。黄幡绰,唐玄宗时宫廷参军戏演员。敬新磨,五代后唐庄宗时宫廷艺人。薛涛,唐代歌姬,自制彩笺写诗,人称“薛涛笺”。卓文君与司马相如,红拂与李靖,崔莺莺与张生,朝云与苏轼,四女皆能识英雄于未遇或落魄之时,其感天动地的爱情故事广为传唱。
Sptt訳
子興は雨村の意見がたいそう重大に思えたので、さらに説明を求めた。雨村は言った:「この世の人々は,大仁者、大悪党を除けば、皆大同小異だ。大仁者は良き運命のもとに生き、大悪党は悪しき状況のもとに生きる。大仁者は良き運命のもとに生きて世を良く治め、大悪党は悪しき状況のもとに生きて世を危ぶませる。堯、舜、禹、湯、文、武、周、召、孔、孟、董、韓、周、程、朱、張,は皆良き運命のもとに生き、かたや蚩尤、共工、桀、紂、始皇、王莽、曹操、桓溫、安祿山、秦檜等は皆悪しき状況のもとに生きて世を危ぶませた。大仁者は天下を治め,大悪党は天下を乱す。清く明らかにして、生き生きとした天地の正気は仁者のものにして、残忍にして異常な天地の邪気は悪党のものなり。今国運は盛んで栄えている、皇帝の世は永遠で、平和で無為の世で、天地の正気は上は朝廷から、下は草野に至るまで,そこここに満ちている。尽きることのない天地の正気はどこからともなく湧き出て来て、甘き露となり、穏やかな風となり、あまねくこの世に満つ。かたや残忍にして異常な天地の邪気は日の下では広がらず、深い谷間に沈んで動かない。たまたま風が起こったり、雲がちぎれたりして揺れ動きがあると、微妙なのだが邪が出てきて天地の正気と争うことになる。正は邪を容赦せず、邪は正に立ち向かう。両者相入れず、風水雷電の自然現象に似てよくわからないが、目に見えぬところで合い見舞う。もとより自然に消えることはできず、相手に譲ることもできないので、闘争の後に決着がつく。気が発生して広がると、その気は人に賦与 (ふよ) される。男でも女でも、その気に遭遇して賦与されると、かたや仁者でも君子になれず、かたや大凶の時でも大悪党にはなれない。気は千万の人々の中に解き放たれ、正気は千万の人々の中にある。かたや邪気はひねくれていて人の情からは遠いのだが、やはり千万の人々の中にある。もし高い地位や富貴の家に生まれれば、乱れた男女関係に落ち入るが、詩書に囲まれた清貧の家に生まれれば、世を逃れた逸士や志の高い人になり、貧民の家にうまれてもすぐれた芸人や名高い娼婦にさえにもなり、地位の低い使い走りや凡庸な雇われ人に成り下がることはない。逸士や志の高い人では、古いところでは許由、陶潛、阮籍、嵇康、劉伶、王謝二族、顧虎頭、陳後主、唐明皇、宋徽宗、劉庭芝、溫飛卿、米南宮、石曼卿、柳耆卿、秦少游、近いところでは倪雲林、唐伯虎、祝枝山がいる。またすぐれた芸人や名高い娼婦では李龜年、黃繙綽、敬新磨、卓文君、紅拂、薛濤、崔鶯、朝雲などがいる。」
子興道:「依你說,成則公侯,敗則賊了?」雨村道:「正是這意。你還不知,我自革職以來,這兩年遍游各省,也曾遇見兩個異樣孩子,所以方纔你一說這寶玉,我就猜著了八九也是這一派人物。不用遠說,只這金陵城內欽差金陵省體仁院總裁甄家,你可知道?」子興道:「誰人不知!這甄府就是賈府老親。他們兩家來往極親熱的。就是我也和他家往來非止一日了。」
成則公侯,敗則賊了
は文字通り (成功すれば高い地位につき、負ければ賊になる) ではなく
成功了的就是合法的,称帝称王;失败了的就是非法的,被称为寇贼。含有成功者权势在手,无人敢责难,失败者却有口难辩的意思。
という解説がある。
方纔(方才)fāng cái:今しがた
不用遠說:遠回しに言うことはない、という意味か。
sptt訳
子興は言った:「貴殿のいうところによれば、成功すれば高い地位につき、失敗すれば賊になる、ということか?」雨村は言った:「その通り。貴殿は知らないかもしれないが、私は職を失ってからここ二年各地を巡ってきたが、二人の異様な子供に出会った。今しがた貴殿が言ったあの宝玉だが、わたしの見るところでは十中八九今述べた中の一派の人物だ。もう一人は、遠回しに言うことはない。この金陵城內の欽差金陵省體仁院總裁の甄家だ。貴殿はご存じか?」子興は答えた:「それは誰でも知っている!この甄家府は賈家府とは古く親しい関係がある。両家の往来はごく親身で頻繁なものだ。だから私も甄家との往来は一日として欠かさない。」
注)二人の異様な子供に出会った、とあり、一人は贾宝玉でいいが、もう一人は原文では<只這金陵城內欽差金陵省體仁院總裁甄家>だけでここでは子供が出てこない。
雨村笑道:「去歲我在金陵,也曾有人薦我到甄府處館。我進去看其光景,誰知他家那等榮貴,卻是個富而好禮之家,倒是個難得之館。但是這個學生雖是啟蒙,卻比一個舉業的還勞神。說起來更可笑。他說:『必得兩個女兒陪著我讀書,我方能認得字,心上也明白;不然,我心裡自己糊塗。』又常對著跟他的小廝們說:『這『女兒』兩個字,極尊貴極清淨的,比那瑞獸珍禽、奇花異草更覺稀罕尊貴呢。你們這種濁口臭舌,萬萬不可唐突了這兩個字。要緊,要緊!但凡要說的時節,必用淨水香茶嗽了口方可;設若失錯,便要鑿牙穿眼的。』其暴虐頑劣,種種異常。只放了學進去,見了那些女兒們,其溫厚和平、聰敏文雅,竟變了一個樣子。因此,他令尊也曾下死笞楚過幾次,竟不能改。每打的吃疼不過時,他便『姐姐』『妹妹』的亂叫起來。後來聽得裡面女兒們拿他取笑:『因何打急了只管叫「姐妹」作什麼?莫不叫姐妹們去討情,討饒?你豈不愧些?』他回答的最妙。他說:『急疼之時,只叫「姐姐」「妹妹」字樣,或可解疼,也未可知,因叫了一聲,果覺疼得好些,遂得了秘法,每疼痛之極,便連叫「姐妹」起來了。』你說可笑不可笑?為他祖母溺愛不明,每因孫辱師責子,所以我就辭了館出來。這等子弟必不能守祖父基業,從師友規勸的。--只可惜他家幾個好姊妹都是少有的!」
啟蒙 qǐ méng:
1.開發蒙昧以外に
2.童蒙開始學習受教。《紅樓夢》第二回:「但這一個學生雖是啟蒙,卻比一個舉業的還勞神。」也作「開蒙」。
童蒙 tóng méng
:1. 幼稚矇昧。2. 指無知的兒童。3. 指童年。
那等 nà děng:那种、那样。
舉業的還勞神
舉業 jǔ yè:為應科舉考試而準備的學業。明、清 時專指八股文。
勞神 láo shén:意思是指耗費精力。
心上也明白;不然,我心裡自己糊塗。
<心上>も<心裡、裡=なか、内、中>も同じような意味だが、ここでは使い分けられているようだ。日本語では<心の上>、<心の下>はないが<心の中>、<心の底>、さらには<下心>はある。
<不然>は<しからずば>
小廝 xiǎo sī:年輕男僕 (年若い下僕)
令尊 lìng zūn:尊稱別人的父親
吃疼不過
この<不過>は
討情 tǎo qíng:情けをかける
討饒 tǎo qíng:許しを請う
不愧 bù kuì:1)不感到羞愧;2)當之無愧。
不會有羞慚的感覺,即認為當然的意思。(これは1)2)と分けていないが、<当然>。
羞恥がない>のがなぜ<当然>になるのか?
羞愧 xiū kuì :羞恥慚愧。
日本語でも<羞恥>というのを聞く。<はずかしい>は多義語で<はずかしがりや>は shy。これは周りの人々目を必要以上に気にする、こと。
<慚愧に堪えない> というのも聞く。これはもう一つ<恥ずかしい>で<恥>由来だ。だが<恥さらし>、<恥も外聞もない>という言い方があり、これも多分に周りの人々目を必要以上に気にする、ことが含まれている。
莫不叫 。莫は
-
不要。
【例】莫怕、莫慌、非請莫入 -
沒有。
【例】莫不歡喜 - 不能、無法。
<不叫 >は否定なので<莫不叫>は二重否定になる。
sptt訳
雨村笑みを浮かべて言った:「昨年私が金陵にいるときに、甄府家の館を訪ねたどうかという人がいたので、言ってみた。中に進んでみると、その光景は誰知ろう、館は栄華にして高貴、裕福にして礼儀がある得難い館であった。その学童はまだ学びは初めたところところだったが、科挙試験の準備の勉強で精力を消耗していた。言い起こしておもしろいのは、その学童が言うには:『勉強するのは二人の少女が私に付き添っていないといけない。そうすると、文字を理解し覚えられるのが、頭の中でははっきりしている。さもないと自分でも心の中がわけがわからなくなる。』また年若い下僕たちに言っていたが:『この『女兒』の二文字の言葉はきわめて尊く高貴にして清らか。めずらしい動物や鳥や草花にまして貴重な言葉だ。君たちの汚い口やよごれた舌から、万が一でもこの二文字の言葉出てこないように気をつけてくれ!だが、口に出す場合には、口をきれいな水で洗い、香りのあるお茶ですすいでからにしてくれ。もし間違いがあれば、君たちの歯を引き抜き、目の玉をえぐり取ってやるぞ。』この学童、暴虐にして偏狭、頑劣、いろいろ尋常でないところがあった。学校に行って女子学童たちを目にすると、そのおだやかでおとなしい性格、賢くしとやかな言動は一変した。このため、父親からむち打ちの罰を何度か受けたが、変わるところはなかった。むち打ちを受け、痛くてたまらない時ごとに、『姐姐』『妹妹』と叫んだ。この叫び声を聞いた女子学童たちは彼を捕まえて笑いながら言った:『なぜ急いで簡単に「姐妹」と叫ばないの?私たちを呼んで情けをかけてもらったり、許してもらったらどう?何も恥じることはないでしょう。』この男子学童の答えはすぐれたもので、こう言った:『痛みに余裕がないと時はただ「姐姐」「妹妹」と叫ぶ。痛みがおさまりそう、まだよくわからないが、「姐妹」のひと叫びで痛みがおさまりそう。実際痛みがおさまれば、そうしよう。これは秘法だ。痛みがおさまらず、ひどい時には連続して「姐妹」と叫ぶことにしよう。』これ貴殿はおもしろいと思いませんか?この学童の祖母が溺愛してるのかどうかわからなかったが、孫を貶めているのは師の責任とされると困るので、甄府家の館から出てきた。このような子弟は祖父の築いたものを守れず、また師や友の諫め、勧告に耳をかさない。ところで、惜しむらくは他家でよい姉妹が何人かいる家は少ないようだ!」
ここでは具体的に名前が出てこないが甄府家に贾宝玉に似た少年がいることになる。
子興道:「便是賈府中現在三個也不錯。政老爺的長女名元春,因賢孝才德選入宮作女史去了。二小姐乃是赦老爺姨娘所出,名迎春;三小姐,政老爺庶出,名探春;四小姐乃寧府珍爺的胞妹,名惜春。因史老夫人極愛孫女,都跟在祖母這邊一處讀書,聽得個個不錯。」雨村道:「更妙在甄家風俗:女兒之名亦皆從男子之名,不似別人家另外用這些『春』『紅』『香』『玉』等豔字。何得賈府亦落此俗套?」子興道:「不然。只因現今大小姐是正月初一所生,故名元春,餘者都從了『春』字。上一輩的卻也是從弟兄而來的。現有對證:目今你貴東家林公的夫人即榮府中赦政二公的胞妹,在家時名喚賈敏。不信時,你回去細訪可知。」雨村拍手笑道:「是極!我這女學生名叫黛玉。他讀書,凡『敏』字,他皆念作『密』字;寫字,遇著『敏』字亦減一二筆。我心中每每疑惑。今聽你說,是為此無疑矣。怪道我這女學生言語舉止另是一樣,不與凡女子相同!度其母不凡,故生此女;今知為榮府之外孫,又不足罕矣。可惜上月其母竟亡故了!」子興歎道:「老姊妹三個,這是極小的,又沒了。長一輩的姊妹一個也沒了,只看這小一輩的將來的東床何如呢。」雨村道:「正是。方纔說政公已有了一個啣玉之子,又有長子所遺弱孫,這赦老竟無一個不成?」子興道:「政公既有玉兒之後,其妾又生了一個,倒不知其好歹。只眼前現有二子一孫,卻不知將來何如。若問那赦老爺,也有一子,名叫賈璉,今已二十多歲了,親上做親,娶的是政老爺夫人王氏內姪女,今已娶了四五年。這位璉爺身上現捐了個同知,也是不喜正務的。於世路上好機變,言談去得,所以目今在乃叔政老爺家住,幫著料理家務。誰知自娶了這位少奶奶之後,倒上下無一人不稱頌他的夫人,璉爺倒退了一射之地。模樣又極標致,言談又極爽利,心機又極深細,竟是個男人萬不及一的!」
便是:<つまりは>などいろいろに訳せるが、前文の<惜しむらくは他家でよい姉妹が何人かいる家は少ない!>とあるので<実際のところ>としておく。
姨娘 yí niáng:舊時代達官貴人的偏房、側室稱作姨娘。いわば公認、同居の妾(めかけ)。
史老夫人: 賈赦、賈政和賈敏的母親。
何得 hé de:怎麼會。反問語氣,表示不能、難以做到。
俗套 sú tào:家の風俗の習慣、習わし
度其母不凡 ー 度 duò:ここは動詞で、考慮する、推測する
不足罕:<罕、hǎn>は<稀、まれに聞く、見る>の意なので、<よく知られたことだ>。
「老姊妹三個,這是極小的,又沒了。長一輩的姊妹一個也沒了,只看這小一輩的將來的東床何如呢。」
の箇所はよくわからない。文字上は、黛玉に夭逝した年上の姉が二人いたことになる。
上の方で
惜しむらくはこの林家は後継ぎに恵まれず、一族の人員が限られていた。いくつか傍系はあったが、直系は限られ、如海も同様で傍系はあったが直系がいなかった。今如海はすでに五十歲で,三歲の男子が一人いたが,夭逝した,幾人かの側室もいたが、いづれも男子は生まれなかった。男子がないのは運命でどうしようもなかった。正室の賈氏は一女を生んだ。幼名は黛玉,今年五歲。
とある。
東床 dōng chuáng: 女婿 nǚ xù は<女方家長對女兒的丈夫的稱呼>で、<婿さん>とは限らないようだ。
親上做親 qīn shàng zuò qīn:親戚,又再結姻親
稱頌 chēng sòng:称赞、颂扬
一射之地 yī shè zhī dì:一箭所能达到的距离
sptt訳
子興は言った:「実際のところ賈府の中の三人の娘は悪くない。賈政の長女、名前は元春、彼女はその賢孝才德により宮中へは入ってしまって今はいないが、賈赦の側室の娘、名は迎春、賈政の庶出で、名は探春、三人目は寧府の賈珍の妹で、名は惜春。史老夫人は孫娘を溺愛していて、手もとに住ませ、そこで勉強させているが、聞き所では皆それぞれ出来はいい、と言う」雨村は言った:「ところで甄家の習わしには奇妙なことろがあり、女子の名は皆男子の名なのだが、これとは別に他の家とは違って、『春』『紅』『香』『玉』などの豔(あで)な名を使っている。賈府でもなぜかこの家の習わしにしたがっている?」子興言った:「それは違います。一番年上の女子は正月元旦に生まれたので名を元春としたが、その他の娘たちはこの『春』の字をとったものです。男子の場合、長男の名前にしたがってその後の息子たちに同じ字を使うのと同じなわけです。実際例を示せば:今貴殿がお世話になっている林公の夫人は榮府の賈赦、賈政二公の同母の妹で,実家では賈敏と呼ばれていた。もしお疑いなら行って調べたらいいでしょう。」雨村は手を叩き、笑いながら言った:「なりほどその通り!私の女学童の林家の娘の名は黛玉です。彼女、勉強中でおよそ『敏』の字は『密』と読み、『敏』の字書くときは,遇著『敏』一、二画減らして書く。なぜかと思っていたが、今貴殿の言う所を聞いて理由がわかった。なるほど、この女学童は言語挙止が並外れていて、普通の女子とは違うわけだ!非凡な母にしてこの娘が生まれたのだ。今は榮府の外孫として知られていて、周知なことだ。惜しむらくは先月母はなく亡くなってしまった!」子興は嘆きながら言った:「黛玉には二人の姉がいたが夭逝してしまった。黛玉は一番下で、将来どんな婿をもあることになるのか。」雨村は言った:「まったくだ。先ほど言われたように賈政公には<玉>の名の息子が一人いるが、長男は夭逝してしまった。しかして賈赦の方はうまくいっているのか?」子興は言った:「賈政公は<玉>の子ができた後、妾が男子を生んだが、良し悪しはまだわからない。今のところは男子が二人、孫が一人だが、将来のことはわからない。賈赦について言えば、子がひとりあり、名を賈璉と言い、今二十数歳二になっている。親戚筋にあたる賈政の夫人王氏の姪を妻に迎えて、すでに四、五年たっている。この賈璉は金で同知の役職を買ってついたが、まともな政務は好きでないが、世渡りはうまく、言うことも巧みだ。今は叔父の賈政の家に住み、家務を助けている。だが、嫁をもらってからはその夫人を誉めない人はいなかった。賈璉五十歩も百歩も退いた。夫人の姿は品があり、口から出る言葉は明瞭で、頭の中は深く細かく、男が数万集まってもかなわないように見えるのだ!」
雨村聽了,笑道:「可知我言不謬了。你我方纔所說的這幾個人,只怕都是那『正』『邪』兩賦而來,一路之人,未可知也。」子興道:「正也罷,邪也罷,只顧算別人家的賬,你也吃一杯酒纔好。」雨村道:「只顧說話,就多吃了幾杯。」子興笑道:「說著別人家的閒話,正好下酒,即多吃幾杯何妨?」雨村向窗外看道:「天也晚了,仔細關了城。我們慢慢進城再談,未為不可。」於是二人起身,算還酒錢。方欲走時,忽聽得後面有人叫道:「雨村兄,恭喜了!特來報個喜信的。」雨村忙回頭看時,--
要知是誰,且聽下回分解。
只怕: 担心、犹恐怕。疑虑或估计。
只顧:只管、儘管、只管。ただxxすれば(いい)。
關了城: <城門が閉まる>の意だが、後に<我們慢慢進城再談>とあるので
<仔細は城門が閉まってしまうんで、城下に入ってからにしましょう>ということだろう。
未為不可 wèi wéi bù kě:意思是不是不可以;委婉地肯定。出自清·曹雪芹《紅樓夢》
sptt訳
雨村はこれを聞き笑っていった:「私が言ったことが間違いがないかどうかはわからない。これまで貴殿と私が話した人たちは『正』『邪』の両方の賦与から来ているのか、はたまたどちょらか一つの賦与 から来ているのかわからない。」子興は言った:「正もあり、邪もある。他人の家の事情に目を向けていればいい。さあ、貴殿ももう一杯やりさえすればいい。」雨村は言った:「話であれば、すでにもう幾杯も上げた。」子興は笑いながら言った:「別の家の事情の話であれば、酒を飲みながらがいい。何をやめる必要があろう?」雨村は窓の外を見ながら言った:「外はもう暗くなってきた。仔細は城門が閉まってしまうんで、城下に入ってからにしてはどうでしょうか。」二人は立ち上がって勘定を済ませ、歩き出そうとした時に、突然後ろから叫ぶ声がした:「雨村兄い,おめでとうございます!うれしい知らせがあります。」雨村がせわしく後ろを見ると、--
さて、誰が叫んだのかは次回にわかります。
末尾参考
<参考ー1> 林黛玉をめぐる紅学の一つ
《红楼梦》林黛玉的真实身份揭秘
《红楼梦》中黛玉的身份是贾母的外孙女,贾敏的女儿。但是从书中的字眼分析,似乎另有曲折。第一段介绍林如海时对黛玉的描述,
“
可惜这林家支庶不盛,子孙有限, 虽有几门,却与如海俱是堂族而已,没甚亲支嫡派的。今如海年已四十,只有一个三岁之子, 偏又于去岁死了。虽有几房姬妾,奈他命中无子,亦无可如何之事。今只有嫡妻贾氏, 生得一女,乳名黛玉,年方五岁。夫妻无子,故爱如珍宝,且又见他聪明清秀,便也欲使他读书识得几个字,不过假充养子之意,聊解膝下荒凉之叹。(上とほぼ同じ)
”
那一句“假充养子”之意,有些心惊。我们知道《红楼梦》中读书的女子很多,宝钗是,贾家的四春是,包括妙玉宝琴岫烟。别人都没加这几个字,只有黛玉便也欲使他读书识得几个字,不过假充养子之意,聊解膝下荒凉之叹,这特点出的养子之意,令人疑惑。
而在回目中也是令人惊讶“惜外孙贾母接孤女”。在别的版本上还见过一个荣国府收养黛玉的回目。一个孤字一个收养,都不合理。林黛玉进京时,其父尚在,用这样的词明示对林如海不恭。而作为掌上明珠的黛玉,作为千金小姐,随行的人不过是一个奶母一个丫环,而这两人在贾母眼中,一个甚小,一团孩气,王嬷嬷又极老,料黛玉皆不遂心省力的,忙另派了自己的丫环去照管。按说贾敏出阁自然是带了陪房过去的,这些人其中必有贾府的家生奴才,必然会护送黛玉而来,可是没有。我们看贾府中三春的丫环,都是极多,如何黛玉反到如此简单,令人不解,这也与前文中对如海的交待不符。而且王夫人和凤姐多次说起过贾敏当年的排场,是如今的小姐不能比的。怎么出了阁的贾敏同样嫁进了门当户对的官府之家,对女儿反到如此简朴?
宝钗过生日时,黛玉因湘云说出戏子的模样像她,而生气了。宝玉劝解时,黛玉又道:“这一节还恕得。再你为什么又和云儿使眼色?这安的是什么心?莫不是她和我顽,
她就自轻自贱了?她原是公侯的小姐,我原是贫民的丫头,她和我顽,设若我回了口,岂不她自惹人轻贱呢。是这主意不是?这却也是你的好心,只是那一个偏又不领你这好情,一般也恼了。你又拿我作情,倒说我小性儿,行动肯恼。你又怕她得罪了我,我恼她。我恼她,与你何干?她得罪了我,又与你何干?”这一段质问有理有据,令宝玉无言可说。那一句“我原是贫民的丫头”,听起来却是奇怪,一向门第清贵的黛玉,如何会有此语。若说是气话,也不合理,她是书香门第的出身,自然也不会生气给自己改了门楣。
后来林如海过世,黛玉回去。按说黛玉是能分到家产的,可是金兰契一节中,黛玉说自己一草一纸皆用的这里的,可见她没私房钱。那她的钱哪里去了?有人说是让贾府或者贾琏凤姐给吞了。这只是猜测,一则黛玉随行,若有些事必是知道的,她毕竟是林如海唯一的女儿,家中分钱,即使不参加,事后,也必有家中的人告诉她情形。若让贾府使了,自然会理直气壮的,不会因一碗燕窝,而不想麻烦这里。可知黛玉没有得到家中的财产。
所以推想起来,黛玉可能不是林如海的亲生女儿,若非如此,林如海不会舍得在妻子死后,急急的打发她上京,而且进京多年并不去探望这唯一的明珠。黛玉可能原是贾府族中孩子,其父母也许与贾敏关系很好,林如海无子,才过继了她。贾敏心疼这个孩子,自然是黛玉孝顺配人疼。贾敏担心自己死后委屈了黛玉,所以才把黛玉托付给母亲,知道母亲心疼女离子,连惜春那样的都给抱了过去。所以才有贾府派了船支来接,而贾母自然是接受了女儿的安排,见了黛玉伤心是自然的,毕竟这是女儿的托付。
林如海过世,黛玉因是贾府过继来的,所以没能得到财产,这样的解释就合理了。而黛玉为什么后来会在贾府小心谨慎,这也是她知道了身世,所以才深感,除宝玉外并无所托。这也是黛玉进贾府,贾赦贾政并不相见的缘由!
<参考ー2>
贾家抄家的幕后主使,精心布局三十年,彻底覆灭贾家
《红楼梦》第二回冷子兴演说荣国府和秦可卿葬礼上暴露出三件《红楼梦》开始前三十年内陆续发生的大小事,喻示贾家抄家的前兆,可惜贾家没有人重视。有个人秘密针对贾家,精心布局三十年,最后令贾家惨遭抄家,今天说说与此人有关的这三件事。
(第二回冷子兴说)自荣公死后,长子贾代善袭了官,娶的也是金陵世勋史侯家的小姐为妻,生了两个儿子:长子贾赦,次子贾政。如今代善早已去世,太夫人尚在。长子贾赦袭着官。次子贾政,自幼酷喜读书,祖父最疼。原欲以科甲出身的,不料代善临终时遗本一上,皇上因恤先臣,即时令长子袭官外,问还有几子,立刻引见,遂额外赐了这政老爹一个主事之衔,令其入部习学,如今现已升了员外郎了。
冷子兴这段话透露出两个问题。
第一,贾政本想科举出身,却因皇帝“体恤”先臣,赐他一个“主事”之职,令其入部习学。看似恩典,实则影响特别坏。
贾政爱读书,想要科举。科举非常难,不是爱读书就能实现。但爱读书代表了贾家的学习方向。贾政之前,贾敬读书也好,科举考中了乙卯科进士,表明贾家第三代有读书种子和学习氛围。贾敬要袭爵放弃了科甲出身,贾政却被皇帝赐了个主事的六品官,让他没有学历上岗习学。这有两个坏处。
一,贾政没有学历走后门上岗,哪怕是皇帝安排,依然会被部门上下排斥。想要升迁除非皇帝关照,否则很难。要皇帝记住小小的一个工部主事,想着给他升官怎么可能?这个安排等于直接掐断了贾政的仕途。几十年过去贾政也不过从六品主事晋升一级,官至从五品工部员外郎。吏户礼兵刑工,工部排行最末。你说皇帝是有意的,还是有意的,还是有意的(重要的事说三遍)?
二,贾政本来读书好好的,有贾敬榜样在前,一鼓作气是有可能科举高中的。毕竟贾家人脉势力都在。科举对普通寒族士子千万人走独木桥不同,贾家位列朝廷中枢,大致搞个科举考题方向,划个重点并不难。一旦贾政再考中,肯定会带动全族的读书风气,贾家顺势就会从武功之家,摇身一变成书香门第。这对贾家的未来发现至关重要。书香门第才是百足之虫,死而不僵。哪怕败落,仍会“野火烧不尽,春风吹又生”。可惜,贾政被赐官,等于一下掐灭了贾家的学习氛围。使得全族无心学习。贾政被赐官的“坏”榜样是从读书科举变成“想当官就有个官做(贾赦语)”,谁还愿意十年寒窗苦读?
第二,贾赦袭官后
搬离敕造荣国府,住在一墙之隔的荣国公旧园。贾政任了工部主事,却继承了荣国府。
这事太不寻常。敕造荣国府本与荣国公的爵位是捆绑的,谁继承了爵位谁住。这有法理依据,贾家也无权私下分配。贾母就算再一言堂,也不敢偏心让袭爵的大儿子搬出去,给小儿子住。能决定这事的唯有皇帝,也就是贾代善死前上的一本上。
之前分析贾赦(字恩侯)名字时说过。名字非常清晰的体现出贾赦能袭爵,是皇帝赦免开恩结果。正是贾赦出了问题,失去继承资格。贾代善死前上本为他求了爵位。皇帝才开恩赦免让他袭爵。
问题是要开恩就一起给,皇帝却将爵产令贾政袭了。荣国公爵位至此一分为二,爵位爵产两房分袭,等于人为的分裂了荣国府,将荣国府的势力削弱一半。这是皇帝乐于看到的,但对贾家却不是好事。荣国府分裂,成为贾家败落的关键因素。
第三,秦可卿葬礼上还有一个细节非常重要。
(第十三回)贾珍看了,忙送与戴权。看时,上面写道:江南江宁府江宁县监生贾蓉,年二十岁。曾祖,原任京营节度使世袭一等神威将军贾代化;祖,乙卯科进士贾敬;父,世袭三品爵威烈将军贾珍。
宁国公的儿子贾代化除了继承父爵一等将军外在朝中的实际官职是京营节度使。京营节度使这个官职为杜撰,但从名头看,应该是京城卫戍司令。而且明朝经营确实存在,就是有名的三大营。是拱卫京城安全的驻守军队,鼎盛时几十万人。著名的土木堡之变后北京保卫战,全靠京师三大营顶住,当时基本被打光。
京师京营三大营,包括五军营、三千营和神机营。五军营分为中军,左、右掖和左、右哨。军士除来自京师卫军外,又调中都留守司及山东、河南、大宁三都司卫所马步官军轮番到京师宿卫和操练,称为班军。京营节度使,无疑是三大营最高领导,实实在在的军中大佬,皇帝最信任的护卫!
宁国公当初肯定手握“京营”,贾代化子承父业也是军人,父子两代几十年扎根军中,掌握京营。皇帝是将命交给贾家,足见信任。
但是,从第三代贾敬开始,京营节度使却由贾家交给了王子腾。虽说还在四大家族内部,可这个微妙变化不能不让人警惕。前有荣国府一分为二,赐官贾政主事,阻断贾家由武功之家向书香门第转变。又有贾家把持两代的京营节度使易主,使得贾家第三代再无一个实权人物。皇帝如此针对贾家,步步为营,切断了贾家根本,试问贾家如何不败?
按理贾家若有明白人,早该打算未雨绸缪。奈何冷子兴说得好“安富尊荣者尽多,运筹谋画者无一”。贾家所有人被富贵蒙蔽了眼睛,对皇帝的暗中下手视而不见或者根本没放在心上,一味的骄狂自大(看看焦大的狂样),最终一步步走向灭亡。而背后对贾家频频出手的皇帝,在第十六回时,已经是太上皇。他最后一次对贾家出手是下旨贵妃省亲,结果贾家响应太上皇旨意,修建大观园,迎接元春省亲,掏光家底一败涂地。不知道您看懂了么?
「文/君笺雅侃红楼」
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<参考ー3>
在第2回贾雨村跟冷子兴演说荣国府的那段话,大家公认是非常重要的一段,红学大师周汝昌先生都认为是整部《红楼梦》的思想纲领,这一段叫做正邪两赋。
曹雪芹以贾雨村之口说,天地之间,除了大仁和大恶之外,大家没有太大差别,大同小异,“余者皆无大异”,对于那些普通人面目模糊、可以互相取代,在这个历史中生生灭灭,没有留下任何痕迹的人,曹雪芹根本不重视。
曹雪芹关心的是一种非常独特的人,而这种独特的人,大家都知道是正邪两赋,大仁和大恶的混合体,所以他没有办法归类。他没有办法归类,以致形成一种特殊的生存状态。该怎么理解呢?我们大部分人自然地会“使用文本”,我们“使用文本”就说,这个很奇怪的又有点清明灵秀之气、又有一点残忍怪僻之邪气,所形成极端矛盾的组合体,他到底代表什么意义?曹雪芹为什么关心这种人?我们“使用文本”就推测说,就是要反封建、反礼教。可是这个好奇怪,为什么什么都是反封建、反礼教呢?谁告诉我们的?这段话就很值得我们重新检验,没有知识装备是永远看不出它的奥妙。
“大仁者,则应运而生,大恶者,则应劫而生”。大仁者诞生的时代,就是乌托邦,是太平盛世,海清河晏;但是当大恶者诞生的时候,当然就是乱世,一个末世,一个时代非常混乱,甚至非常可怕残暴的终结的时代。他举了哪些历史中的人物来证明大仁的样态呢?大仁是一个抽象的语词,当它具现在具体人物上面的时候,谁有这个资格作为大仁的化身?他说,“尧、舜、禹、汤、文、武、周、召、孔、孟、董、韩、周、程、张、朱”,后面就断掉了,再也没有后续的大仁者,他们都是应运而生。这些大仁者为什么会被曹雪芹津津乐道呢?因为他们修治天下,禀赋的是天地的正气,所以清明灵秀。这样一来就有一个很有趣的问题,我们大多数读者就是这样跳过去了,可是我在这里很愿意跟大家分享,原来什么叫做“诠释文本”,什么叫做回到语源学、语义学、精密分析原文的一种方式。
关于这个大仁者的含义,我刚做完这个研究,追踪了一下中国思想史。各位知道把尧、舜、禹、汤、文、武、周、召、孔、孟、董、韩、周、程、张、朱并提,是什么时候产生的?显然不可能在汉代,因为汉代还没有出现董、韩之类。董是董仲舒,韩是韩愈,董仲舒虽然讲阴阳五行,对我们今天来讲有点迷信,但是他在汉代儒学地位是非常崇高的;韩愈由于是所谓的古文运动,“文起八代之衰,道济天下之溺”,所以他被放在大仁者的行列。可是各位不知道,原来把董、韩放在这样的大仁系列,那也是在宋代理学初期建构的,那个过程非常复杂。所以各位有没有发现,理学真的非常重要,所以这个大仁者的压轴就是理学家周敦颐,加上程颐、程颢、张载、朱熹,这叫程朱理学。所以你说《红楼梦》反理学说不通的,理学家根本是大仁者的压轴,而且曹雪芹认为之后的明清再也没有大仁者,这不是太有趣了吗?各位也可以发现,大恶者也是数到宋代。为什么都算到宋代呢?难道曹雪芹不把明清纳入他考量的范围吗?非也,我们下面会跟大家分享除了大仁和大恶之外,还有一个系列是正邪两赋,正邪两赋是数到明代的。所以很明显,当他算大仁、正邪两赋和大恶三个系列的时候,他是把明代放在观察的部分。所以正邪两赋会数到明代那些很突出的创作者、文学家,像唐伯虎就算进去了。
为什么大仁、大恶停在宋代?而且以大仁作为人格的至高标准,竟然以程、朱作为压轴,这是非常值得注目的一件事情。如果我们再考量曹雪芹的家世背景,各位就会很清楚知道一件事情,程朱理学根本就是曹雪芹的家学。曹寅对于曹雪芹影响非常重大,包括小说中的女娲补天,甚至也带有一点曹寅诗词创作的余迹在里面。对于这样一位博学多才,而且深受康熙信任的祖先,曹雪芹孺慕良深,我们可以从这样的家学背景理解到程朱理学算是《红楼梦》的思想纲领,为什么?因为曹寅有一些诗和文,曹寅很明确地告诉他的侄子,我们家的家学就是要以程朱理学作为教育子弟很重要的范本。最信任曹寅的皇帝就是康熙,他也是程朱理学的支持者,他甚至颁布天下,把程朱理学变成国家的官学。这样君臣之间、祖孙之间,无论是国家和家族,程朱理学都是他们最重要的思想根据。所以我们看到大仁者的行列,以周、程、张、朱压轴是非常合理的事情。就这点来说,《红楼梦》前80回里对于程朱理学的铺陈和应用究竟如何,这是一个非常庞大的问题,绝对不能够想当然的,这个问题我们点到为止。
正邪两赋,两种气不小心聚在一起,彼此斗争,无法消融对方,以致于形成一个极端矛盾的统一体,这个就是对宝玉先天禀赋一种气论的解释。于是这种气要赋人,要体现在人身上,才能够把歧异的、纠结的、矛盾的气化解掉,天地之间就不会有特别奇怪的气存在,这是非常源远流长的气论。
曹雪芹又给了独特的阴阳二气人格的解释,他把它对应到大仁大恶,而以正邪两气所组合的矛盾统一体,解释了宝玉这类人独特的先天因素。不仅如此,曹雪芹又调动了神话,神话其实是后设的象征说法,各位不要把它当真,以为就是把这些人物浪漫化,不是。曹雪芹是用神话来说明这些人物为什么有这么奇特的性格特质,有些是先天的,没办法解释的,曹雪芹就用神话作为先天因素。
《红楼梦》一开始第一回就已经清清楚楚,已经再三强调,这部书创作宗旨就是“无材补天”,他是自己无材不堪入选,于是自怨自叹,日夜悲号惭愧,读者却故意视而不见。因为我们希望我们心目中的英雄是反礼教的秀异分子,所以我们不愿意承认他其实在那个时代来讲,是一个彻彻底底的失败者。这就是原人和类人猿的距离,我们用一知半解、用我们自己对自己的关心来看《红楼梦》时,就很容易产生这种现象。
这里非常明白说“无材不堪入选”,后面又有一首诗讲到“无材可去补苍天,枉入红尘若许年”。各位不要忘记,除了女娲炼石神话,补天剩下一块无材补天这样的设定以外,最初就是用气论给了宝玉前身正邪两赋的极端矛盾统一。正邪两赋这样一个奇怪的、没有办法归类的特异形态,原来在曹雪芹所在的正统文化里代表的是病态的人格,因为亦正亦邪,非正非邪,半正半邪,你到底算什么样的人,没有办法归属,这种人叫做畸零人。畸零人就是一个病态的存在样态,然后我们看到了“玉有病”的脂批,对不对?
我们再回到中华文化大传统,人类庞大的思想资料库,你就会发现正邪两赋的概念也都是在说疾病,都是病态。《释名》是汉代很有名一部训诂的专书。各位请看一下中医的病气理论。气的概念在中华传统文化里是非常重要的概念,中医从先秦发展过程中,也把这个气论吸收了进来。传统的医学和现在的西医是非常不一样的,传统医学认为,人会生病就是因为内在的气流动不顺,不止如此,它说“疾,疾也,客气中人急疾也”,“客气”是指外来的气,它说有一个外来的气,包含六气,寒暑四季,这些气在我们身体外面流转。但是有时候忽冷忽热,有时候半冷半热,有时候气转换不顺的时候,就会入侵到我们经络里面,当外面的气侵入到我们经络血脉里,干扰了我们身体里非常正常的好的正气的运作,就会生病。所以“病,并也”。什么叫做“并也,并与正气在肤体中也”?外来的“客气”,“客气”也叫邪气,邪气侵入到你身体里跟你好的正气,正气就是你身体里好的气,给你营养,给你气血,让你很有精力的那股气,并存在你的身体经络里面,这时候你就生病。各位有没有发现这简直就是正邪两赋对不对?正邪并存其实就是疾病,这个跟脂砚斋的“玉有病”之点评不是完全如出一辙吗,完全一致。
在《黄帝内经·素问》也是一样的说法,“卫气之所在,与邪气相合,则病作”。这个卫气,意思是你吃了东西之后在胃部消化转化成营养,营养在血脉里流通,使得你很有精神。这个“卫气”是保卫你很健康的力量,而这个“卫气”也叫作胃气,也有叫做“营气”,都属于正气,换句话说,正气之所在,与邪气相合,就生病。所以如果从中医体系来看,原来曹雪芹就是在文化传统里创作的,所以他所有对于正邪两赋所提供的概念和意涵完全一致,他说的就是宝玉这类人是病态的人格。不仅如此,除了中医的“病气论”之外,还有道家、儒家的思想依据,这个就不再展开。原来我们的知识装备真的很欠缺,欠缺到我们甚至连它的基本常识都不知道,各位读《红楼梦》前80回有没有发现连宝玉、宝钗这些人都很懂医理的,对于生病该用什么药,是不是虎狼之药太强,他们都讲得有条有理,头头是道,宝钗建议黛玉要多吃燕窝,要怎么调,那段说法也是蛮有中医的根据,所以曹雪芹绝对是深谙医理的,他绝对知道这些说法。还有一个推测曹雪芹一定知道的根据就是,连我都知道,曹雪芹不可能不知道,这是很合理的推测。
一块病态的玉是一个瑕疵品,它怎么可能补天呢?那补天是什么意思呢?补天是大仁者对这个国家和社会的贡献。我们刚刚讲到周、程、张、朱,“张”是张载,张载有一个四句名言,我非常喜欢,当我是学生的时候,深深受到震撼,觉得为人者应若是,做一个人就要这样。他觉得人应该“为天地立心、为生民立命、为往圣继绝学、为万世开太平”,当然是指文人,因为百姓是没有受教育的资源和权利的。
你们现在都说古代受教育的比例是5%,因为一个很红节目的关系。我要做一下补充,其实不是,比例更少,依照一个民国二十几年的资料,那个资料是有数据的,他说在光绪30年的时候,各位都知道光绪30年是很快就到了民国了,而且那个时候因为已经经过西方殖民的伤害,大家都认为要变法图强,认为教育很重要,所以大力推动,连女子学堂都有,是经过这样普及教育的情况下所做的调查,光绪30年当时进行识字率的普查所提出的是期望值,期望值不一定是事实,是通过这么多努力,我们期望的事实达到怎样的比例,那个数据是1%。连光绪30年教育都已经得到一定程度的普及之后,识字率还只有1%,那往前推是不是可想而知,文化精英真的是跟一般大众处于完全两个世界的,所以我们不能用平民的眼光看待《红楼梦》这部伟大著作的文化内涵。
一个没有资格去补天的,可是经过锻造的玉石,真的是愧对他所享有的家族栽培,以及自我实现的挫败。这跟我们现在观念是完全不一样的,这样可以非常合理地解释这段脂批,他认为作者是要“贬玉原非大观者也”,玉不是大观,玉是瑕疵被弃不用的,它没有补天的条件和能力,它就不算大观,所以大观绝对不是洋洋大观,风景的大观,大观从《易经》开始,从来就是跟王道结合的,是跟经世济民结合的一个宏大的理想,这个是我们现代人也不知道大观的原意時,就很容易犯的错误。因为大家只读过范仲淹的《岳阳楼记》,就说大观就是《岳阳楼记》里面看到风景是洋洋大观,你错了,因为你只看过范仲淹的《岳阳楼记》,你不知道曹雪芹他们读过四书五经,读过很多的东西。这就是我们现代人很容易遇到的问题,这么一来就可以发现“瑕疵品”、“无才补天”、“玉有病”,跟“远非大观”是不是都非常一致了,跟正邪两赋也完全是在同一个主轴里。
我们现在对于贾宝玉的理解,很可能都是离心式的,脱离了传统文化所产生的 “使用文本”的解读,而不是“诠释文本”。“诠释文本”是你要作为一个有责任的、敏感的读者,你要照顾到这个创作背后的语言系统,而语言系统当然不外乎文化系统,这个就是我们现代人最缺乏的。所以我们面对《红楼梦》时还有一个非常重大的难题,就在于我们没有阶层性这个概念,我们现在讲究人人平等、民主,变成好像是一个不證自明的,而且是唯一最重要的,无论是制度或者我们的思想上的价值观。但是这真的是我们现代人的骄傲,我们自以为是。
我们现在实施所谓的民主自由,其实从西方算起来,也不过才两三百年的历史,两三百年之前,整个世界、整个人类的文明有多少不同的生活方式,为什么我们就只能用我们的观念衡量他们呢?所以这么一来就发生一个问题。我读过一个美国学者写的书,他说我们现在这个时代,只要谈到等级,就视同洪水猛兽,他说在美国,“等级”这个词汇绝对是禁忌,你提出来就觉得你是罪恶,已经到了这种程度。我才明白原来我们现代人的意识形态跟价值观是深入透骨到这个程度,这么一来我们怎么理解传统就是在等级中运作的呢,对他们来讲,贵贱的划分是理所当然,跟我们现在把自由平等当做不证自明的价值观的理所当然是一样的。你的信仰跟我的信仰其实是一样的真诚,但是我们不肯接受,原来古人对于等级和封建也有他们的信仰,我们总觉得你很进步,你就应该反对你的时代。为什么?进步为什么一定要用这种方式呈现?我真的不明白,进步有太多种可以呈现的方式,所以我们不能把问题简化。
曹雪芹在第2回开宗明义,就很清楚地告诉你,你要了解贾宝玉,一定要从等级去认识他,因为等级决定了他的正邪两赋所体现的表现形态。他说正邪两赋一定要赋予人身上发现之后才会化解掉,对不对?赋予什么样的人身上呢?他告诉你,如果生于公侯富贵之家,就会变成情痴情种,如果生于诗书清贫之族,会变成逸士高人,如果生于薄祚寒门,会变成奇优名娼。我们一直没有好好读这一段,只把其中的情痴情种摘录出来,因为很浪漫。对啊,宝玉是情痴情种,爱黛玉爱到从前生到今世,我们就开始不断附会我们想要的东西。可是明明不是啊。这段话很清楚,他说你就算是一样的正邪两赋先天的性格材料,但是你生在不同的家庭,而家庭跟阶层有关,你就会有不同的人格样态、所以怎样才能创造情痴情种呢,一定要公侯富贵之家,才能塑造出这种人格。那你如果跑到那种诗书清贫之族,各位有没有发现,诗书清贫之族的条件就是比较穷,但是他读过书,这种人也很特别,要变成逸士高人,陶渊明就是。陶渊明不可能是情痴情种吧,他果然也不是生在公侯富贵之家,人家是“种豆南山下,草盛豆苗稀”,好可怜,很会创作诗词,满腹诗书,但是种起田里就是不行,“吾不如老农”,没有办法,“虽小道,必有可观者焉”嘛!所以各位就明白,曹雪芹很清楚看到一个事实,一个人会是什么样子,跟他的成长背景息息相关,换句话说它的家庭环境,尤其是六岁成长前的家庭环境,会对他造成简直是第二天性的影响,那就是他的天性,那种影响是一辈子摆脱不掉的。所以曹雪芹、贾宝玉就是出生贵族阶层,他干嘛反对贵族,有人说哪有这种道理,谁说知识分子阶级就不会反对贵族,问题是我后面还有很多论证,所以说话真的很麻烦的事情。
如果生于薄祚寒门,是连书都没有办法读的,于是他一定会沦落于底层,这是没有办法的事,在等级制度里。但是他即便在底层,他都会很突出,他会变成名角,一出场就是大青衣,后面有很多人崇拜和痴迷,那又是一种独特的人格类型。大家想想看,曹雪芹所写的贾宝玉、林黛玉这些人,是不是就是在公侯富贵之家成长的,所以你不能用逸士高人来理解他们,他们更不是奇优名娼,我们不可以混为一谈。但是我们常常不自觉地混为一谈,所以这就是我们现在读《红楼梦》比较难的地方,因为我们根本就先天排斥这个观念,就是不可以有贵贱。可是他就在贵贱里面生活呼吸,追求,渴望,实践自我的,你排斥这些根本的前提,那你理解到的《红楼梦》不就是自己投射的《红楼梦》了。这是我觉得读《红楼梦》也是一个大的难题所在。
Baike-Baidu では<正邪两赋>というタイトルで、タイトルに反して<正>、<邪>に加えて<情>を変えた<三つどもえ>の論を展開しいる。(話は長いので引用省略)
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